五弁会/堺中と三国丘高校卒業生の絵画同好会
五弁会は旧制堺中卒業生と新制三国丘高校卒業生を会員に持つ絵画同好会。昭和56年(1981年)に発足。会の名は、堺中の襟章(花弁の数が学年を表し、5年生の襟章は五弁の梅の花だった)に由来しています。
近年は三丘会館で、在校生も参加する作品展を開催しています。
近年は三丘会館で、在校生も参加する作品展を開催しています。
第3水曜日に「家族の肖像を描く会」
堺中学と三国丘高校の卒業生からなる同窓絵画展の五弁会では、第3水曜日の午前中、家族の肖像を描く会を三丘会館で開いている。
写真を材料に手軽にやっていますが、思う様に出来ない所が絵の面白さです。本年は5月から始めますので興味ある方の御参集をお待ちしております。本欄の絵は、小生が勤務先の新入生歓迎会に出た際、端正な学生に感じる所がありその場でそっと有り合わせの紙に描いたのをプリントゴッコでものにした記念の賀状です。飾り気のない素朴な感じがうれしかったです。
〔2021年・記=高7回・髙木正邦〕
第39回展を開催(2019年)
第39回五弁会展は令和元年11月14日~17日の期日で、辻本光彦氏(中45期)と山家由紀氏(高7回)、髙木正邦(同)並びに堂之本一男氏(中37期)の遺作計28点を集めて三丘会館で開かれました。五弁会では人物画の講習を三丘会館で第3水曜日午前10時から行っています。
人物画と言ってもお孫さんや御家族の写真からの複製画を試みる手軽なものです(右イラスト参照)。ご希望の方は同窓会事務局までお問い合わせ願います。
〔2020年・記=高7回・髙木正邦〕
三丘会館で第38回展を開催(2018年)
第38回五弁会展は昨年11月15日~18日、三丘会館で辻本光彦氏(中45期)と山家由紀さん(高7回)、髙木正邦(同)と在校生の清水壮俉さんの作品、河盛好昭氏(中45期)と西條博子さん(高6回)の遺作等計31点の作品を集めて開かれた。
在校当時、工藤正義先生に評価されていた角谷和男氏(中45期)は平成29年に他界された。体調を理由に退会を述べた氏の便りに描かれていた絵を見た河盛氏はこの文さえ無ければ作品になると残念がられた。
退職後、大阪市立美術研究所の石膏デッサン前期教室に学び、退所後日本画をされた山元清嗣氏(中40期)が平成30年に他界された。同研究所の祢宜吉子先生が氏の「東大寺鏡池」(50号連作)をご覧になって述べられた感想を後に伝えると「これであの6年間の研究所での苦心が報われた」と笑みを浮かべられた。
亡くなられました会員の方々のご冥福を心からお祈りいたします。
〔2019年・記=高7回・髙木正邦〕
三丘会館で第37回展を開催(2017年)
第37回五弁会展(堺中学・三国丘高校同窓絵画展)は昨年11月16日〜19日の期間、三丘会館2階で開かれ、一昨年96歳で他界された道幸彦三郎会長(中38期)と会員5名、並びに在校生等の作品計32点が展示された。河盛好昭氏(中45期)の色調を抑えた水彩画の「新宿御苑樹陰」と「井の頭」は昼の土の温もりと氏特有の風韻を伝えていた。辻本光彦氏(中45期)の「懐しの街パリ」と土井晩翠の詩が添えられた「軍師諸葛孔明」の素描力と色彩とは会場で一段と映えていた。山家由紀さん(高7回)の「イタリアカンパーニュ地方を描く」と題した淡い色の一連の水彩画は仄かな旅情を漂わせ、独自の画業を進める太井潤一氏(高45回)の「どろ」とその画面裏に記された五弁会の文字に何故か感銘を受けた。在校生・下仲あさひさんの窓枠に我が国古来の文様が配列されたポスターカラー画の「日本の文様」には作者の熱い思いが感じられた。
〔2018年・記=高7回・高木正邦〕
三丘会館で第36回展を開催(2016年)
第36回五弁会は昨年11月17日から20日まで三丘会館2階で開催された。会員7名に加え、いずれも3年生の在校生、本田烈さんと志賀桃果さんの作品が展示された。本田さんは都市計画へ、志原さんはアフリカ農業を害する植物研究へ進む。これを知った河盛氏(中45期)は重い言葉であると感想を述べられた。五弁会会長の道幸彦三郎氏(中38期)は昨年5月7日に97歳で他界された。大正8年12月20日生、昭和18年11月入営、中国南昌で現地訓練、昭和19年7月南京陸軍経理学校入学(第一期生)、南京陸軍病院に伍長に、重症患者50名の室長、教官小野航空主計少尉殿。
72歳で友人に誘われて洋画に親しむ。年2回の外遊とその個展、近隣の仲間との展覧会、五弁会と大学同窓の年5回の展覧会と「小さな旅の団体展」等、90歳を迎えるまでに千点の油絵をものにされた豪の者である。
関西では珍しい法人監査の資格をもつ計理会社の社長を務められ、名簿では公認会計士・洋画家とある。
風の強い日、伊吹山へ30号2枚を携えて写生に行かれたことがある。ご家族によると氏にとって思い出深い作品になったそうである。遺作を仮に年10点ずつ展示するとして、全ての作品には100年の月日を要する計算となる。大層な宝物を残された道幸氏のご冥福をお祈りする。
〔2017年・記=高7回・髙木正邦〕
三丘会館で第35回展を開催(2015年)
会員で、一昨年8月に他界された中嶋正一さん(中44期)を偲んでみたい。
野菜づくりや盆栽の手入れなど、何事にも豊かな気持ちで臨まれた中嶋さんの絵には私たちの胸を打つものがある。
雪を頂く山々が映る水田、その水面に影を落として揺らぐ植えられたばかりの無数の稲の苗、その絵から氏の心意気が伝わってきて、時を忘れさせてくれる。
登山に親しまれた中嶋さんは、山の風景の標高が表れるように、その空間の空気にまで留意して描かれたという。それは海の景色でも同様であった。
日記は2冊、1冊は日常の記録、もう一冊はご自分の考えを記されるもので、各々専用の万年筆が添えられていた。
中嶋さんが年俸以上の絵を購入したと知った奥様が「帰らせていただきます」とおっしゃったこともあったそうだ。
ご自宅に伺っていて「龍神温泉で鮎を食べてきた」と長女の夫にあたる西村真人さん(高14回)と帰ってこられたことがある。玄関先に画材の詰まったリュックを元気良く降ろされた姿が昨日のように思い出される。
〔2016年・記=高7回・高木正邦〕
三丘会館で第34回展を開催(2014年)
名誉会長の堂之本一男氏(中37期)は風景画を、会長の道幸彦三郎氏(中38期)はデイケア先での写真と花の絵を出品され、共に健在ぶりを示された。パリの個展から帰国間もない太井潤一氏(高45回)の作品は、山口校長にも好評だった。
田中千尋さん(3年)の重厚な色彩の「浮遊」、エッジで構成された岡野萌さん(2年)の「机」、中川真海さん(2年)の幻想的な「星の海」、牧美歩さん(1年)の緻密な切り絵「五福臨門」、江戸博美さん(1年)の優しい色紙「寒椿」、瀬川彗子さん(1年)の想像で描いた「鹿」、塩﨑悠香さん(1年)の濡れた瞳の犬「アトム」、これら在校生の作品は来場者に感銘を与え、当人たちも手応えを感じたに違いない。
最後に昨年他界された中嶋正一氏と東田利一氏のご冥福を心からお祈りする。
〔2015年・記=高7回・髙木正邦〕
三丘会館で第33回展を開催(2013年)
今回は堂之本一男氏(堺中37期・五弁会名誉会長・95歳)を紹介する。
10年ほど前、昭和3年築の長屋を「アトリエ一条」とされ、そこには毎水曜日午前中、同好の人たちが集ってくる。「少年時代の遊び場は仁徳陵の一本橋と農学校だった」そして「堺から一歩も出たことはなかった」と自作の絵に囲まれてにこやかに語る堂之本氏と、材木商の仕事柄、「たき木」のかまどに親しんでこられ「今でもかまどが欲しい」と語る奥様(堺美術協会会員)。お二人のお話を伺っていると、あたりに春風がそよいでいる感じがして、つくづく良い先輩をもったものだと思う。
〔2014年・記=高7回・高木正邦〕
三丘会館で第32回展を開催(2012年)
初日には、竹山堺市長(高21回)をはじめ創立会員の外山福三氏(中32期)と是枝氏のご遺族も来場され、会場は華やかな雰囲気に包まれました。
なお、今回の出品目録の表紙(画像= 是枝氏邸と外山氏が長年アトリエに使われた蔵)に是枝氏と外山氏の作品を使わせていただきましたが、お二人は共に堺中32期卒で今回の五弁会展が32回目であることを考え合わせると、数字の奇縁を感じた次第であります。
また、在校生として出展された昨年ご卒業の山下祐紀さん(高64回)は、大阪府高校美術工芸展で2年連続して一位入賞したとのこと。美術工芸専門学科以外の生徒が2年続けて入賞したということで関係者の賞賛の的となったとの由であります。
最後に、昨年他界された北村喜久治氏と志摩達夫氏のご冥福を心からお祈りします。
〔2013年・記=高7回・髙木正邦〕
第31回展に工藤正義先生の作品も展示(2011年)
第17代校長・辻良蔵先生(昭9~21年在勤)の肝煎りで本校に招聘された工藤正義先生(昭13~21年在勤)は堺中にはもったいないくらいの本格的な画家であった。先生は海外写生旅費を個展の絵の父兄への販売で調達された。中嶋正一氏(中44期)宅のお座敷に今も先生の絵が飾られている。河盛好昭氏(中45期)宅の絵は戦災で消失した。
学生の頃南紀へ同行し、先生の描く様子を傍で眺めていた河盛氏は、最近その絵が里見氏(中32期)宅にあると知り検分に赴いたところ大層傷んでいた。これを聞いた中嶋氏は先生の絵を五弁会展へ展示することを申し出られた。
平成23年11月12日~18日、学生も交えた第31回五弁会展の会場で、河盛氏は先生の絵に一文を添えられた。
「東京美術学校卒業後、堺中に就任された先生は、当時発足の新制作派協会に出品され、新作家賞を受けられる等輝かしい業績をあげられた。厳しい中に温かいご指導をいただいた事を三条通りのお住まいと共に、当時の生徒は懐しく思い出す。小磯良平、猪熊弦一郎先生とも親しく、将来を期待されたが若くして病没された。」
〔2012年・記=中40期・山元清嗣〕
30周年記念展を開催、次回展覧会は三丘会館で予定
2010年9月の30周年記念五弁会展は、皆さまのご支援のお陰で盛会裡に終えることが出来ました。ただ、残念なことに私達と数々の思い出を分ち合った創立会員の外山福三氏(中32期)が97歳をもって昨年永眠されました。ここに慎んでご冥福をお祈り申し上げます。2011年の五弁会展は、三丘会館で開催しますので、皆さまのご来場をお待ちしています。
今回は卒寿を迎えられた堺中40期の梅川勉氏と山元清嗣氏の近況を紹介します。
梅川氏は庭の一隅にある広い画室で切り絵に、山元氏は門屋長屋の一角にある和室で日本画に、それぞれ余念のない日々を過ごされています。余談ながら、偶然にもお二人の奥様は第七代校長・辻良蔵先生(昭和9年~21年在勤)の親戚筋にあたります。
辻校長といえば、小出楢重や鍋井克之、黒田重太郎等を擁して当時の大阪で洋画のメッカというべき信濃橋洋画研究所(のち移転して中之島洋画研究所)に通われ、その縁で本格的な画家である工藤正義先生(昭和13~21年在勤)を堺中に招聘されました。あらためて「人の絆」の強さを実感します。
〔2011年・記=併1回・東田利一〕
絵画同好会「五弁会」の活動報告とお誘い(2008年)
五弁会は、旧制堺中と新制三国丘高校同窓で絵画を趣味とする者の集まりです。堺中では学生服に梅の花弁をモチーフにした襟章をつけていたのにちなみ会の名を「五弁」とし、昭和56年に5名でスタートしました。現在は女性3名を含む20名で、毎年9月頃に難波の「戎橋画廊」で会員の作品展を開催しています。
本会は、絵画の種類や巧拙、年齢を問わず、絵画を通して同窓が和気藹々と集う会です。また、絵画は制作者の気分を表すもので、作品を通してお互いの元気を共有する会でもあります。
なお、新規会員を募っていますので、関心のある方は下記へお問い合せ下さい。五弁会要項をお送りしますので、要項をご覧いただきぜひご入会下さい。
問合先(山元)Tel.(0721)53-8875
〔記=中40・山元清嗣〕