三丘同窓会

第19回三丘アカシアトークカフェ開く
   新作能を創ること──「王昭君」を中心に──



 12月20日、いつもの三丘会館で第19回三丘アカシアトークカフェ「新作能を創ること──『王昭君』を中心に──」が開催された。講師は文学者であり、近年は新作能で注目されている泉紀子さん(高21回)。40人(うちZoom参加3人)が参加した。

 新作能とは明治以降に作られた能をさす。題材は多岐にわたっており、ジャンヌダルクから福島の原発、アウシュビッツなど実にさまざま。2020年にアカシアトークカフェの講師を務めた能楽師の上田敦史さん(高44回)は「アマビエ」をテーマにした新作能について語ってくれたことを覚えている人も多いだろう。
 能は大きく分けて現在能と夢幻能がある。現在能は現実の時間経過に沿って物語が進行するが、世阿弥が完成した形式である夢幻能は過去と現在、現世と異世界を行き来しながら物語が進む。「マクベス」(2005年初演)をはじめとする泉さんの新作能も夢幻能である。新作能を創るにあたっては「演劇であり、文学としても自立・自律したものを」と考えてきた泉さん。独自の解釈で斬新な作品を送り出してきた。

マクベス/「きれいは穢い、穢いはきれい」がシェイクスピアの人間観
 シェイクスピアの「マクベス」は、スコットランドの将軍マクベスが「マクベスは王になる」との魔女の予言に触発され、また野心的な妻にそそのかされて国王ダンカンを暗殺して王座につく。だが、良心の呵責と不安に苛まれ、残虐な行為を重ね、破滅に向かっていくストーリー。

 「マクベスの新作能を作っていた時、ロンドンのグローブ座に行ってきました。シェイクスピアがその座付き作家であった劇場です。(スライドを示しながら)これが国立能楽堂、こちらがグローブ座。似ていると思いませんか? グローブ座にひとりいて、何の違和感もありませんでした。能装束をつけたマクベスが『諸行無常…』と言いながら出てきても全然おかしくない」と泉さん。
 「マクベスの新作能というと『げてもん作ったんやね』と言われたことがありますが、げてもんやない、と自分に言い聞かせました。シェイクスピアの作品には普遍性があります」
 「マクベス」は黒澤明によって映画化もされた。戦国時代の日本を舞台に、三船敏郎と山田五十鈴が共演した「蜘蛛巣城」だ。黒澤は「マクベスには、弱肉強食という時代に生きた人間の姿が集約されている」とインタビューで答えている。だが、泉さんは繰り返し読むうちに、マクベスの重要なテーマは他にもあると思うようになった。予言を与えた魔女のセリフ「きれいはきたない、きたないはきれい」。両方併せ持つのが人間だ。これがシェイクスピアの人間観、時空も国境も越えた普遍的なテーマなのだと。
 新作能「マクベス」は辰巳満次郎主演、間狂言あいきょうげん監修・野村萬斎で上演され、高い評価を得た。

オセロ/嫉妬がテーマと言われるが、それだけか?
 2作目は「オセロ」(2013年初演)。
 オセロはベニスの黒人将軍。彼を恨む部下イアーゴーはオセロの妻・デズデモーナが密通していると嘘を吹き込み、嫉妬に狂ったオセロが妻を殺害するよう仕向ける。イアーゴーの策略だったと知ったオセロは自害する──。

 オセロは嫉妬が生んだ悲劇であるといわれてきた。だが、それだけだろうか。言葉の力についても語っているのではないだろうか。デズデモーナの愛を獲得したオセロの言葉。オセロを支配したイアーゴの言葉。オセロの制作にあたってはそういうことを考えたそうだ。
 野村萬斎さんもイアーゴ役で出演した。シェイクスピア没後400年にあたる2016年には京都の大江能楽堂で上演された。
 「マクベス」「オセロ」ともにDVD化されている。

王昭君/謎多き「悲劇の美女」
 そして2019年に発表されたのが古代中国の物語を素材とした「王昭君 -国境を越えてー」。
 王昭君(単に「昭君」とも)は実在した中国4大美人の一人、そして悲劇の美女といわれる。

 紀元前3世紀〜紀元1世紀後半は遊牧民である匈奴が勢力をふるい、中国と対立と和平を繰り返していた時代である。
 前漢の元帝の頃、美貌で、音楽の才もあった昭君は見出され、10代で後宮に入る。その後、匈奴の君主である呼韓邪単于こかんやぜんうが元帝のもとを訪れ、宮女の一人を妻にと求めたところ、王昭君が選ばれた。王昭君は西域に送られ、単于との間に一男をもうける。その後、呼韓邪単于が死亡したため、当時の匈奴の習慣に倣い、義理の息子に当たる復株累単于ふくしゅるいぜんうの妻になり、二女をもうけた─というのが史実だ。

 しかし、なぜ昭君が選ばれなければならなかったのか。なぜ元帝がそれまで昭君を召すことがなかったのか。資料には詳細が記されていない。この謎、記述の空白を埋めようとすることから、王昭君の生涯は死後、さまざまに虚構化、物語化されていく。
 昭君は自ら降嫁を選んだとする説、最後は服毒自殺したという説も。
 その中でも後の王昭君像に決定的な影響を与えたのが「西京雑記」にある記述。それによると…。
 当時、宮女たちは絵師に美しく描いてもらうため賄賂を渡すのが普通だったが、昭君だけはそうしなかったので醜く描かれた。匈奴の王が妻となる女を求めたとき元帝は絵を見て、最も醜い昭君に決めた。そして、出発のときに初めて見た昭君があまりに美しいので悔やんだが、どうすることもできなかった。絵師たちはその後打首にされたというもの。

 王昭君はさまざまに描かれ、語られ、うたわれてきた。それは時代によっても変わってきた。

「王昭君」に用いられた面「蛾眉」を持つ泉さん。眉が印象的だ。


新しい王昭君像の創造

 泉さんは新作能「王昭君」を作るにあたっては、特定の素材によらず。新しい王昭君像をもとに創作するときめた。昭君に関するさまざまな説話や伝承について、「それは事実ではない」と、昭君自身に語らせることにした。

 舞台は平安時代の日本とした。
 管弦の名手である貞保親王は琵琶の秘曲の譜面と曲の由来を献上するよう宇多上皇から命じられた。あとは「王昭君」一曲を残すのみとなったが、譜面も奏法も絶えた「王昭君」の復曲は難航する。
 ある夜、大きな月が出て雁の鳴声が響き、夢の中に王昭君の霊が現れる。そして、霊は真実と秘曲を伝えようと、貞保親王に伝授する…。

「王昭君」DVDから、一場面

昭君が絵師に賄賂を渡さなかったので悪く描かれたことに対しては
「人の心は黄金にてあがなふものか」「偽りの絵にて女の定め、定まるべきか」「人に貴賎あるべきか」「わらわは良くも悪くも描くがよしとて、黄金を渡さざりければ、絵師悪く描きなして召しに及ばず」と昭君に語らせた。
すべてを語り終えた霊は雁とともに月に昇っていく。

質疑応答タイム


 質疑応答の時間はリラックスした雰囲気のなか、質問も活発で盛り上がった。

 質問者1 (泉さんは)小さい頃からよく知ってます。今日はまだまだ勉強したいという気持ちにさせてもらいました。紀ちゃん、またがんばってください。
 泉さんも笑いながら「先輩の◯◯ちゃんです。合格発表の時、ついてきてくれました」と。三丘アカシアトークカフェならではのアットホームな雰囲気に会場、すっかりなごむ。

 質問者2  すごくおもしろかった。知識も増えました。王昭君をかぐや姫のように月に帰らせたのはどのような意図があるんですか。
 泉 王昭君が死後どうなったかについては「青塚せいちょう」を含めていろいろあります。現代の中国では、王将君は匈奴を治めた英雄として麒麟閣きりんかくにあげるべき人だったという声もある。でも私は、このように苦悩した王昭君を他の武将と一緒に顕彰してほしくないし、ひとりさびしく青塚の中に埋ずもれていてほしくもない。江戸時代の画家、岩佐又兵衛も月の光に照らされて琵琶を弾いている王昭君の絵を描いてますが、それを見ているうち、やはり王昭君を月に昇らせてあげたいと思うようになった。真実を語り終え、心残りがなくなった王昭君を。感傷的かもしれませんが、これは日本の昔物語のかたちにもあるパターンでもあります。
※青塚:王昭君の墓。いつも青々と草が茂っていたといわれ、歴代の詩人らもテーマとした。
※麒麟閣:匈奴制圧で功績のあった武将たちの肖像画が飾られているところ。

 質問者3 新作能を作るにあたって、古典作品と同じように作ろうと心がけている点、変えようと心がけているところは。
 泉 能が敷居が高い、わかりにくいといわれるのは、言葉の問題もあると思うので、純然たる古文ではなく擬古文にしています。また、間狂言あいきょうげんを使ってその人に多くを語らせ、ストーリーが把握できるようにしています。能は歌舞伎と違って捨てるところはすべて捨てているから、それだけでは現代人にはわかりにくいところがあります。現代演劇の人と組んでもおもしろいかもしれない。見ておもしろい、見て美しい。そういうところから入っていけばいいかと思います。

 質問者4 いつごろ、どのようにして能に興味を持ったのですか。あと、能の作家というのは実際にどういうことをするんですか。
 泉 高校時代、私のまわりには読書を好む友人がたくさんいて、影響を受けたのはよかったと思っています。河出の世界文学全集や石川達三の新聞連載小説について話し合ったりしました。大学時代は能のクラブに入りました。専攻は平安前期の文学だったので、中国文学とかの関わりとか小野小町とかについて、新進気鋭の先生たちのもとで学ぶことができました。そうしてるうちに、文化の核に文学があるんだということを学びました。それぞれ、その時代の人はどのように享受したのか興味があった。
 その後、シェイクスピアを読んだとき、「マクベス」は能で、もっと美しく表現できると思った。勇猛果敢なマクベスが無情を感じるマクベスであってもおかしくない。能で表現したい、と思いました。
 もう一つの質問については…私、能の作家は素材を集め、解釈をして構成を考え、言葉をあてていく。どのように歌うか、書き込む。能楽師の先生が節付けをする。というふうに進めます。野村萬斎さんは「ここはどう解釈するのか」と、しっかり聞きはるんですね。読みが深い。言葉にきびしい人でした。そのように、専門の方たちと相談しながら進めます。

 司会(企画委員) ではここで先生から、最新作の情報をお願いします。
 泉 吉野の山奥に咲く大和椿の物語を作っています。現代演劇の人とコラボして。ほかにも二、三あたためている企画があります。できるかどうかは天のみが知るというところです。
* * *

 とうわけで、2025年の三丘アカシアトークカフェも終わりましたが、いかがでしたでしょうか。新作能は時間も空間も超えるダイナミックな挑戦であり、また多くの人の思いが詰まった共同作業であることが、素人ながら感じられました。王昭君という女性にも興味がわきました。参加者それぞれが自分なりの王昭君のイメージを持ち帰ったのではないでしょうか。次作も楽しみです。



泉さんを中心に、いつもの集合写真。みなさま、お疲れさまでした!


泉 紀子(いずみ のりこ)
大阪女子大学(現:大阪公立大学)大学院文学研究科修士課程修了(修士)、関西大学大学院文学研究科後期博士課程修了(博士)。 専門分野は平安前期文学、和漢比較文学。
羽衣国際大学名誉教授、上海師範大学客員研究員、和泉市文化振興財団評議員。

(2025.12.29)