三丘同窓会

三丘アカシアトークカフェ 第7回開催/上田敦史さん(高44回)「未来につなぐ能」


 2020年9月12日14時30分から、三丘アカシアトークカフェ第7回「未来につなぐ能」が開催され、49人が参加した。今回は高44回の能楽師・上田敦史さんに小鼓の実演を交えながら能についての話をしてもらった。
 新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、人数制限(定員50人)、入口での手指の消毒、マスクの着用、距離を保った座席配置、換気休憩、ティータイムの中止などを実施しながらの開催となった。

  上田さんは能楽囃子大倉流小鼓方で重要無形文化財総合認定保持者。公益法人能楽協会大阪支部に所属し、2019年より「新丹波猿楽座」を始動、総監督を務めている。大阪府立東住吉高校芸能文化科非常勤講師。2014年より「半農半能」を目指して兵庫県丹波市に在住。
 講演は、上田さん自身による謡(うたい)と小鼓(こつづみ)の演奏で始まった(写真上)。謡いながら打つことは本来しないそうだが、今回は1人なので謡いながらの演奏となった。
 続いて上田さんを追っているカメラマンから前日の夜に届いたというプロモーションビデオが披露された。能の公演の様子や、テレビCM(写真下) に始まり、2019年に上演された新作能「直正」、新作狂言「ちーたんと丹波竜」、さらに今年コロナ禍の中で執筆された新作能「アマビエ」などが映像とともに紹介された。


サワーズグミ・能舞台編(ノーベル)の1シーン。カメの着ぐるみを着た亀梨和也さんの後ろの囃子方、右から2番目が上田さん=プロモーションビデオから
 
能のルーツ
 能の歴史は一般的には650年前の室町時代に観阿弥、世阿弥が足利義満に見い出されて奈良から京都に出て大成したと言われているが、上田さんによるとそのルーツはもっともっと昔、ブッダの時代までさかのぼる。
 能のルーツは3つあると言われている。1つ目はブッダによる説。弟子でもある仏敵ダイバ・ダッタが異教徒を使って、説法中のブッダを妨害したことが何日か続いたことがあった。ブッダはどうすればよいかいろいろ考え、役者を集めて離れたところで異教徒の興味を引くことをやった。すると異教徒はみんなそっちの方へ行き、無事説法ができた。この興味を引くことが能の原型であるという説である。
 2つ目は天岩戸隠れ。天照大神が弟スサノオの蛮行に怒り岩戸に隠れる。すると疫病、飢饉などが地上に現れ、それを打開するために日本芸能の祖と言われているアメノウズメノミコトが天岩戸の前で日本史上初めて神楽を舞う。天照大神が気になって少し扉を開けると力持ちのタヂカラオノミコトが一気に扉を開けて天照大神を引き戻し、世界に明るさが戻った。この時の神楽がルーツであるという説。
 3つ目は聖徳太子が「世に障りありし時」に66番の演目をつくらせ上演させたら平和が戻った。その時の上演がルーツであるという説。
 この3つが世阿弥の伝書に書かれている。3つの共通点は、いずれも世に問題が起きたり悪が行われたりした時に起因しているということで、これは芸能の役割そのものを表している。



すでに能楽師になると決めていた高校時代
 上田さんは能楽師の家に生まれ、4、5歳の頃から舞台に立っていた。
 子役の多くは中学生くらいが分かれ道になり、大体の子は能楽師以外の道を選ぶが、上田さんは「能をやりたい」ということでプロの道に進むことにした。勉強は嫌いではなく、受験して近大付属和歌山中学に2年まで通ったが、父が堺に引っ越すことになり、中3の1学期に旭中学に転校し、三国丘高校に入学した。高1から鼓の大倉源次郎(人間国宝)に入門。高3の時にこの道へ進むなら大学へ行くのは無理かもしれないと師匠から言われ、上田さんも大学には進学しなくてもよいと思っていた。しかし「クラスで大学行きませんと言ったらみんながえーっとなって。夏休み頃にまわりの空気に耐えられなくなった」そうで、結局、甲南大学文学部に進学した。

「環境を変えたい」と丹波に移住
 2011年の東日本大震災で上田さんの人生観は変わり、田舎暮らしをして自給自足の生活、電気・ガス・水道がなくても大丈夫という環境での生活を志すようになる。最初和歌山に土地を探しに行ったが見つからず、丹波でよい土地を見つけて6年前に移住した。 
 「環境が変わると考え方も変わる。大阪で暮らしていたら今ここにいないかもしれない」と上田さんは話す。丹波に来てみると、丹波猿楽があり、集落に能の一番大事な翁三番叟(おきなさんばそう)が遺っていた。この土地の財産であるのにそのことを土地の人は知らない。そこで上田さんは小学校、中学校を回って能を広めようと考え、年間50校くらい回った。今では篠山、川西、尼崎と兵庫県全体に広がってきている。さらに丹波の子供を集めて1年間稽古して、丹波市のマスコット「ちーたん」をテーマに新作狂言「ちーたんと丹波竜」を書き、2019年に上演した。丹波は恐竜の化石が出、「ちーたん」は丹波竜のキャラクターである。同時に地元の英雄、戦国武将の「赤井直正」を題材に新作能「直正」を上演。「ちーたんと丹波竜」は「輝こう丹波っ子すくすく大賞」で最優秀賞を受賞した。

さまざまな音が出る小鼓
 持参した小鼓を分解して見せてくれた(写真)。
 小鼓は砂時計のような形の胴と、革、緒からできている。胴の形が音を出すポイントで、ただの筒だと音がまとまらない。真ん中が細くなっている胴できゅっと詰めてぱっと広がる、詰め開きを音や声に導入していることが能の特徴である。「西洋の発声は喉や胸郭を開いて響かせるが、能は息を詰めて通過するときの力を声に変換しているような気がします」と上田さん。小鼓の役割はいろどりを加えることで、音のバリエーションが一番多い。上田さんが実際に小鼓を打ち、音を聞かせてくれた。緒の握り加減や、革を打つ場所によってさまざまな音が出る。

 太鼓は立場が違い、能楽250曲の半分しか登場しない。よって囃子方は3人(小鼓、大鼓、笛)の場合と太鼓が入って4人の場合がある。太鼓はどちらかというと後半に盛り上げる演出的な効果を狙っている。もう一つの打楽器である大鼓(おおつづみ)は全体の骨格をつくる楽器で音の種類は少ないが、インパクトのあるカーンという音がする。
 笛は能管と言って、囃子方唯一の管楽器である。能管は一見ただの竹の棒に見えるが、実は中に細い管を入れて漆で固めてある。小鼓の胴と同じで細くすることで音の音域が広がり、偶然発生するような風切り音とか振動音が出る。

 上田さんは「音が確定しているものが一切含まれていない音楽態が能なんです。不安定な要素が入っているから笛も音階が正確に出ない。でも出る必要が一切ない。笛は1本しか登場しないし、謡う側も音程で謡っていないので、『その音、外れているよ』ということも一切なく、出たときの音がその時の音なんです。湿度や自然環境によっても変わります。能は神がかっていなければならないので、確定していてはいけない。同じメンバーで2回やった時に同じことができてはいけない」と説明する。
 ひずみ、揺らぎなど不確定なもので構成されているものに対して霊的なものが宿る、というわけである。文楽、歌舞伎のようなエンターテインメントではなく、どちらかというとシャーマニズム、神事として行われていたのが能である。
 歌舞伎や文楽では三味線はメインの楽器であるが、能には弦楽器が入っていない。易学や陰陽道的な意味合いで言うと弦楽器は現実世界、この世の音。つまりこの世の話に対しては弦楽器が使われ、華やかにするため活躍する。能は神事、呪術だから弦楽器は使わない。

新作能・アマビエに込めた思い
 本年、舞台も稽古も自粛中というコロナ禍の中で、上田さんは新作能「アマビエ」を執筆した。江戸時代に飢饉や疫病が流行った時に「アマビエ」と名乗る妖怪が現れ、「6年間豊作だがそのあと疫病・飢饉がやってくる。自分の姿を絵姿にして広めたら飢饉を逃れることができる」と予言する。それを聞いた役人が数年後に実行し、瓦版に書いて江戸に広めたという伝説に基づいた作品である。上田さんはこの新作能について、次のように解説する。
 
「ストーリーは想像して広めた。妖怪だとそれ以上広がりがないので、神様の使いということにした。海の神様の使い。海は人間に対する愛の象徴であり、おそれるべき畏怖の対象、人間が汚して、そのつけを払っていかねばならない人間の贖罪の象徴でもある。アマビエのメッセージは何なのか。お札的ではない、人の心に問うこと。そうでないと能にはならないし、メッセージとして世界に発信していくことにならない。心の中にある水がどういう状態であるか、自ら感じていただく。穏やかに水面が整っていて、波風が立っていなければ物事はきれいに映る。濁っていなければより美しくあるがままを映すだろう。自分自身もまわりもそうです。そういう状態に人がなっていなければこういう世の中の危機を乗り越えるのは難しいのではないか。新たな問題が起きてくるのではないか。アマビエでそれを問う。世にあふれているまわりの情報に右往左往するのではなく、自分を失わないこと。誹謗中傷などそのストレスを他者にぶつけすぎないか。そういったことを戒めることも必要であるというメッセージ性をこめた。想像して感じていただきたい」
 新作能「アマビエ」は当日会場で動画が上映される予定であったが、機材のトラブルのため上映できず、最後の一節を上田さん自ら謡と小鼓で実演され、講演は終了した。

 新作能「アマビエ」は9月26日に西宮能楽堂で上演され、また別途無観客公演の映像がネット上で動画配信される予定である。


終了後は、上田さんを真ん中に記念写真
 
(2020.10.12)