三丘同窓会

第20回三丘アカシアトークカフェ開催
 木村貴文さん(高32回)常識を疑い自分の目で確かめる



 iPS細胞とか骨髄移植などという言葉もニュースなどを通じて日常的に接することが多い今日。完治が難しいと思われていた病気にも新しい治療法が出てきては医学の進歩の速さに驚いたり、また期待をふくらませている人も多いでしょう。
 木村貴文さん(高32回)はそんな最先端の世界に身を置いてきた一人。血液内科学、幹細胞生物学の専門家として研究を続けてきたこれまでを、ざっくばらんな口調で語っていただきました。

人生は「は?マジか!」の連続

 街の小さな酒屋に生まれました。布団太鼓の蔵が50mほど先にあって、子供のころは祭りに明け暮れてた。夏休みも中ごろからろくに勉強せず、蔵に行っては太鼓をたたいてた。
 高校卒業後、わけわからんと奈良医大に入った。
 入ってみたけどおもしろくなかったので2年間、ふけてました。
 2年後、もどってきたある日、北村惣一郎教授──この人は阪大医学部を首席で卒業、39歳で奈良医大の教授になったが、20年間で1回しか教授会に出なかったという伝説の人です。常に患者やオペを優先したからです。
 その北村先生に「外科医になれ」と言われました。
 「は?」
 そこで心臓移植の勉強などしてみたが、不真面目で、おまけにお尻に病気…痔が…。立ってられない。そう言うと
 「ほな外科医は無理や。内科に行け」といわれた。2度目の「は?」です。門を叩いたのが大阪大学の第三内科でした。

 当時の阪大第三内科といえば免疫学のメッカ。
 7つの講座があるが、血液内科へ。理由はじゃんけんで7連敗したからです。寝袋と着替え持参で血液内科に行きました。
 5年間の勤務の後、大学院をめざしていたらチーフの先生が
 「明日から病棟に来てくれる?」3度目の「は?」でした。
 「いや、だいじょうぶ。君がうんと言うまで僕帰れへんから」
 翌日、また寝袋と着替えを持って血液内科臨床医をすることになりました。

 4度目の「は?」も来た。
 ほとんど寝ない2年半の臨床医生活の後、また
 「今から京都に送っていくから」
 京都府立医大に連れて行かれました。「これがお世話になる木村くんです」
 全然思ってもいなかった基礎医学の研究をすることになった。でも、やらざるを得ない。追い詰められながら論文書いたりもがいたりしていると
 「そろそろ留学せんか」5度目の「は?」。
 「いや、結婚して子供もいるんですが…」
 「ボストンが来てくれとゆうてる…ほなドイツのテュービンゲンに行ってくれる?」
 家族でドイツのテュービンゲンへ行きました。ま、いいところでした。

テュービンゲンの街


 テュービンゲン大学はアルツハイマーやケプラー、ツェッペリンを輩出した大学。地元ではだれもが知っているというローター・カンツ教授(血液・免疫・腫瘍内科)のもとで研究しました。ドイツの有名な子供服メーカーがありまして、この人はそこの御曹司なんです。お城に住んでるんです。

 その後はまた京都府立医大での研究生活に。

 府立医大で私がやったのは造血幹細胞の研究でした。
 造血幹細胞は骨髄のはしっこ、酸素濃度の低いところでじっとしている。ところが出血などで一旦スイッチが入ると総動員で活動する。そういう仕組みになってる。
 受精卵は「全能性幹細胞」。でも、受精卵でないと個体を発生させられないというのはうそで、われわれ成人の体の中にある細胞──体細胞でも同じようにできる。体細胞の中にも受精卵と同等の情報が折りたたまれている。そういうことを、オタマジャクシの細胞核を使って65年前にたったひとりで証明したのがジョン・ガードン教授。後に山中伸弥さんとノーベル生理学・医学賞を受賞した人です。この人は劣等生でした。子供のころから蛾が大好きで、サナギから蛾になる過程が不思議でならなかった。そしてひとりで蛾の観察を続けた。
 ジョン・ガードン先生は「私はあまり論文は読まない」と言ってた。情報バカになること、常識にとらわれることを嫌った。人生の最初の驚きがモチベーションになった。そのことを常に言ってたそうです。

スライドを使って説明する木村さん


 木村さんには内科医の経験から不思議に思っていたことがあった。

「透析患者さん(1990年代)が赤血球ゼロにならないのはなぜ?」

 赤血球をつくるにはエリスロポイエチン(腎臓でつくられるホルモンの一種)が必須ということがわかっている。培養液中ではエリスロポイエチンを抜くと赤血球はできない。だが実際には腎臓にエリスロポイエチンがなくなっても赤血球はゼロにならない。なぜか。 …だんだん難しくなってきましたね。眠たいでしょ?

(お、起きてますよ!)

 しかし、クロストーク(造血因子作用の細胞内交差)のことがわかってきた。エリスロポイエチンがなくても、細胞の中のいろんなホルモンのシグナルがバトンリレーを行い、ほかのホルモンと交差するクロストークを通じて機能が維持されるんです。
 培養を繰り返して赤いコロニー(赤血球)が確認できた。腎不全の患者が赤血球を作れる理由のひとつを示唆するもので、これが京都府立医大で追い込まれてやった研究です。権威ある雑誌に掲載されました。

 血液細胞コロニーのカウントは熟練を要します。みんなやりたがらない。培養だけで2週間かかる。その間、何もできない。技術の習得だけで1年以上を要しました。しかし、自分の目で見て、手を動かして証明するというのが基礎医学のあるべき姿だと思うようになった。府立医大ではそのような毎日でした。




幹細胞研究者として疑ったこと

 ドイツでは骨髄移植の研究をしていた。
 骨髄移植は無菌室で、点滴で入れるんです。それが体の中をくるくるまわって。骨髄に無事届くんですが、骨髄になぜ到着するか?
 移植に先立っては大量の抗がん剤と致死量のX線照射で造血細胞を完全にやっつける。そうしてスペースをつくる。この前処置で炎症を受けた骨髄は「幹細胞、来てくれ…」と呼ぶ。シグナルを出すんです。
 幹細胞の能力には、いろいろなものに分化できること、そして「呼ばれたところに行く」という遊走能があります。
 細胞っておそろしいですよ。「ごめんやす」と言って行くんじゃなく、中には細胞を突き破っていく細胞もあるんです。そうやって移植は成功するわけです。排除機能もある。ドイツではそういうことを研究していたことを思い出した。

IBMIで脛骨けいこつに直接注入する

 仮説を立てた:ヒトCD34陰性幹細胞は遊走能に乏しい。
 そのころの造血幹細胞のマーカーはCD34(+)。一方、マウスの長期造血幹細胞は陰性のCD34(-)。ヒトのCD34(-)は引き寄せられる能力が弱いんちゃうか?
まずは培養しまくった。来る日も来る日も工夫して培養してもコロニーは全くできない。免疫不全マウスに静脈から注入しても生着しない。万事休すかと思われ、うつ状態になった…。

 尾静脈からの注射では骨髄まで到着できない。そこで骨髄内直接注入法(IBMI)を開発した。マウスのスネの骨(脛骨)に細胞浮遊液を特注の針で注入する。
 直径1mmくらいのスネの骨に2μLの液を入れる。針は、町工場のおやじに無理ゆうて、ものすごい鋭角に削ってもらいました。
 そして、この直接の注入で同定成功。世界ではじめて、1年間の失意の後に編み出した方法が成功した! ヒトCD34(-)幹細胞はたぶん、直接注入でないと同定できないことがわかった。1000匹くらいで実験しました(マウス1匹25,000円)。

 これで造血幹細胞の研究は一旦終わり。血液センターに帰ってきてからは臍帯血さいたいけつを再生医療に使えないかという研究を始めました。
 臍帯血バンクでは実は9割が細胞数が足りなくて捨てられてる。これを有効利用したい。X線を15グレイ以上照射すると免疫細胞のリンパ球増殖がなくなるが、遊走能は維持されて、神経機能改善効果も維持され、移植した細胞が腫瘍化する心配もない。臍帯血は再生医療の細胞源として有望なんです。海外で、また国内でも成人の血液細胞よりiPS細胞への初期化が容易であること、成人のTリンパ球よりもCAR-T細胞を調整しやすいことなどから注目されています。


お話を聞いて

 布団太鼓の蔵をとび出した少年が幹細胞生物学の研究者になっていく物語は、その分野の歴史とも重なって、たいへん興味深いものでした。理数科超苦手な筆者としては研究の内容が十分理解できないのが本当にすみませんなのですが、来る日も来る日もコツコツと地道な作業を繰り返す、その先に未来につながる発見があるのだということは大いに伝わりました。
 寝袋持参で奮闘する研究者のみなさん、1000匹のマウスたち、町工場のおやじさんに感謝! 幹細胞、来てくれ…と呼ぶ骨髄、呼ばれて行く幹細胞のお話は感動的でした。



いつものように記念写真。この日は44人(うちリモート参加5人)が参加しました。


木村 貴文(きむら たかふみ)
1998年奈良県立医科大学卒業後、大阪大学医学部第三内科入局。1995年、京都府立医科大学助手(衛生学)としてヒト造血幹細胞の研究に着手。ドイツ・テュービンゲン大学血液免疫内科に留学を経て関西医科大学講師・京都大学iPS細胞研究所教授。2016年、日本赤十字社近畿ブロック血液センター勤務(副所長)。2025年4月から同センター所長。専門は血液内科学、幹細胞生物学。
(2026.3.4)