創立130周年記念式典を開催
ステージ右手には歴代の校長や大阪府教育長、左手には校長、准校長、PTAや同窓会の役員ら。
2025年10月24日、フェニーチェ堺大ホールにて、母校創立130周年記念式典が行われた。
1895年、大阪府立第二尋常中学校として創立された母校は本年、130周年を迎えた。
昨年から当同窓会と学校、PTAの三者が実行委員会を形成、一体となって取り組んできた130周年記念事業(三丘資料館や三丘会館、体育館のトイレや更衣室の改修)も多くの方の賛同と支援により無事完了した。
この日、第一部の記念式典ではPTA会長から学校長に記念事業の目録が手渡された。また生徒代表からは「慶びの言葉」があった。
「創立130周年は、47500日の日々を縦の糸、学校関係者、生徒の努力を横の糸として紡いだタペストリー。在校生のみなさん、ぜひこのタペストリーを更に大きく立派なものに紡ぎ続けてください。そして、三国丘高校で受けたご恩を、単に母校だけにとどまらず、地域のため、この国のため、そして全人類のために、『恩送り』(Pay it Forward)をしてください」──この日出席した在校生に向け、仲林信至同窓会長が激励の意をこめて述べた言葉だ。

仲林信至同窓会長

藤井光正校長

記念事業の目録を読み上げ、藤井校長に手渡す長瀬陽子PTA会長。

生徒代表による「慶びの言葉」

高7回生有志一同から贈られたくす玉が割れた瞬間、中から「祝創立130周年」と書かれた垂れ幕が現れると歓声が上がった。
澤芳樹さん(高26回)が講演
第二部のゲストは、世界で初めて心筋細胞シートを使った手術に成功、数々の賞にも輝き、万博でもiPS心筋シートやiPS心臓が展示されて話題となった心臓外科医の澤芳樹さん(高26回)。主に生徒たちに向けた内容として「医学のレジリエンス〜みらいへの挑戦と貢献〜」と題して語った。緒方洪庵の適塾から大阪大学医学部につながる系譜、その中でイノベーションのDNAが培われてきたこと。大阪大学医学部卒で医師であったあこがれの従兄弟の死は、当時高2だった澤さんに大きな影響を与えた。祖父も大阪府医学校(のちの大阪大学医学部)卒だが、若くして亡くなっていた。
澤さんは、何がなんでも祖父や従兄弟のあとを継いで大阪大学医学部に行く!と決めた。中でも全身に血液を送るポンプであり、生命維持に最も重要で神秘的と思える心臓に魅せられ、天職として心臓外科を選んだ。

人生は一度だけ。早く気づいた人が有利。そして、仕事を成し遂げるために必要なものは困難に挑戦するガッツ、しなやかな回復力(レジリエンス)、自発性、執念だと澤さん。座右の銘は「先手必勝」「迷ったら難しい方を選べ」──先輩からの力強いエール、きっと生徒たちの胸に届いたはずだ。
大阪交響楽団が記念公演、生徒たちの挑戦コーナーも

第三部は大阪交響楽団による記念公演。同楽団は1980年、「大阪シンフォニカー」として発足。2010年に「大阪交響楽団」となった。堺市堺区に拠点を置く。この日はフィガロの結婚、カルメンなど名曲の演奏に続いて、挑戦コーナーが。

生徒3人が指揮者の高橋直史さんの指導を受けた後、一人ずつ指揮に挑戦。「決めのポーズを考えておくといいよ」と言われて…。

バレーボール部の男子はスパイクのポーズ!観客や団員たちに大いに受けた。
続いて、弦楽合奏団、吹奏楽部の生徒たちも楽団員に混じってエルガー「威風堂々」を演奏。堂々とした演奏に大きな拍手が起こった。

最後は生徒たちを交えた交響楽団の伴奏で校歌斉唱というぜいたくなひととき。会場を埋め尽くした生徒や同窓生全員が起立して歌う。この日は生徒957名に保護者、卒業生、職員、来賓あわせて1400名近くが出席。ホールいっぱいに歌声が響き渡り、感動のうちに式典を終えた。
なお、司会は昨年の総会のゲストスピーカーであったレモン英美さん(高64回)に務めていただいた。

■ 記念式典にご出席くださった来賓のみなさま(敬称略)
水野達朗 (大阪府教育長)
浦山 聖 (大阪府高等学校長協会会長)
川淵三郎 (日本サッカー協会相談役)〔高7回〕
澤 芳樹 (大阪大学名誉教授)〔高26回〕
甲斐行夫 (最高検察庁第50代検事総長)〔高30回〕
河野泰之 (京都大学副学長 国際戦略担当)〔高29回〕
岡村 務 (第22代校長)
中尾俊治 (第23代校長)
田中滿公子(第24代校長)
山口智子 (第25代校長)
濵﨑年久 (第27代校長)
高江洲良昌(大阪府立茨木高等学校)
寺本圭一 (大阪府立高津高等学校)
東 秀行 (大阪府立堺工科高等学校)
山本哲哉 (大阪府立堺東高等学校)
若林武志 (大阪府立高石高等学校)
佐保田真一(大阪府立伯太高等学校)〔高45回〕
中島彩子 (大阪府立八尾高等学校)
平松勝己 (令和5年度PTA会長)
来賓紹介で名前を呼ばれ、立ち上がって客席に手を振る川淵三郎さん
式典の後、会場を移して祝賀会が開かれました。その模様はまた後ほど。
(2025.11.20)
