三丘同窓会

「池守 田中家旧宅」(大阪狭山市)が国の史跡に

 大阪狭山市の「池守田中家旧宅」が、国の史跡に指定された。昨年10月に文化庁から答申が出されていたもので、2月21日に文部科学省告示として官報に掲載された。
 狭山池は飛鳥時代の築造から1400年、改修を重ねながら現在も使用されている灌漑(かんがい)用のため池で、2015年に国の史跡に指定されている。今回、江戸時代をつうじて池守(いけもり)として、狭山池の管理、運用を担ってきた田中家の旧宅が、「国史跡狭山池」に追加する形で指定された。

田中家旧宅母屋入り口(写真・大阪狭山市提供)

池守田中家旧宅奥座敷(楊梅亭)から庭をのぞむ(写真・大阪狭山市提供)

 
「池守の旧宅」を守ってきた 田中俊夫さん(高23回)
 狭山池は河内、和泉から生野辺りまで、多くの村々に水を供給する重要なため池だった。干害対策として1608年に片桐且元による慶長の大改修が行われ、下流地域に配水するための東樋、中樋、西樋が整備された。樋役人(37軒)を統轄して、池の維持管理や配水の割当を決定するのが「池守」で、江戸時代を通じて田中家が代々その役割を担ってきた。
 今回、史跡に指定された「田中家旧宅」は、18世紀前半の建物で、池守を務めた当時の様子をうかがい知ることができる。保存されていた古文書(池守田中家文書)とともに、狭山池の歴史的な価値を知る上でたいへんに貴重なものだ。
 旧宅の隣に住み、長年にわたって維持管理にあたってきた田中俊夫さん(高23回)は、史跡指定の答申段階で、「代々受け継いできた旧宅を守らねば、という使命感で生活してきた。台風の被害を受けやすく、史跡指定されることで保存や保護が進んでほしい」と語っている。(11月21日読売新聞「河内版」より)

狭山池博物館開館と池守田中家文書


 灌漑用だった狭山池は、1982年の大規模な水害をきっかけに、1988年~2001年まで14年をかけてダム化工事が行われ(平成の大改修)、治水が用途に加わった。
 その間、1995年~97年に田中家の調査も行われ、蔵から約12,000点(うち3,000点は狭山池関連)におよぶ「池守田中家文書」が発見された。(現在は狭山池博物館に寄託)。

 歴史ある堤や改修工事の際の出土品など、文化財保存を目的に準備されていた狭山池博物館が2001年3月に開館。記念事業として、「池守田中家文書の特別公開」が2ヶ月にわたり開催された。その図録の冒頭に「(略)一つのため池の管理・運営を物語る史料が、これほど大量に、しかも連続して残っていることは、全国的にもきわめてまれなことです。本館では、ご当主田中俊夫様・ご母堂喜久子様のご理解とご厚意により、永くこの史料から、狭山池改修の歴史を明らかにするとともに、活用させて頂くことになりました。(略)」とあり、「池守田中家文書」の経緯と意義が端的に記されている。 さらに新たな史料が発見されたこともあり、2021(令和3)年度から5年間の予定で、引き続き調査が続けられている。

毎年開催「池守田中家文書 特別公開」/中山潔 先生(旧職員)が担当
 国の史跡となった「池守田中家旧宅」は非公開だが、狭山池博物館では、2015年度以降、「池守田中家文書」を毎年違ったテーマで公開展示、講演や図録も含め好評を博している。画像は令和5年度の特別公開図録(表紙)
 2019年から担当しているのが、三国丘高校旧職員の中山潔先生(2001年~18年在職)で、現在は狭山池博物館学芸員(近世担当)として「池守田中家文書」の調査に精力的にあたっている。ちなみに2001年3月の博物館開館時の特別公開も、三国丘高校着任直前の中山先生が担当している。
  本年の特別公開は、旧田中家の史跡指定を記念して2回開催。前半は7月3日~8月25日に、「史跡指定記念展『池を守って300年(仮題)』」が開催される予定だ。

(2024.3.20)