「藤野先生」の添削の謎に迫る一冊
大村泉さん(高19回)ら「魯迅仙台留学百二十周年記念会」が出版
今年9月、「魯迅の仙台留学 ─『藤野先生』と『医学筆記』─」という興味深い本が出版された。出版したのは高19回・大村泉さん(東北大学名誉教授、経済学博士)を代表とする「魯迅仙台留学百二十周年記念会」だ。
魯迅(1881〜1936年)といえば現代中国文学の父と言われる文学者であり思想家であるが、当初は医学を志し、1904年仙台医学専門学校(以下・医専=現・東北大学医学部)に、初めての中国人留学生として入学、文学に志を転じて1906年3月に退学するまで1年7ヶ月を過ごした。
魯迅のノートを添削した藤野 そこに込めた思いは
当時、魯迅の指導にあたった教授・藤野厳九郎(以下・藤野)の思い出を後に描いたのが小説「藤野先生」(1926年)だ。重いテーマを含みつつも淡々とした筆致で当時を回想した短編だが、そこにはいくつもの謎が含まれている。
一方の「医学筆記」とは、魯迅が医専在籍の間に作成したノートを指す。当時の授業は口述筆記が大半であり、生徒はそれを筆写した。このノートを、魯迅の指導にあたった藤野は丹念に添削した。
──それを持ち帰ってから開いて、私はびっくりすると同時に、ある種の不安と感激とをおぼえた。私のノートは初めから終りまで朱筆ですっかり添削されていて、書きもらしたところがいくつも書き加えられていたばかりでなく、文法の誤りまで、いちいち訂正してあった。このやり方は先生が担任した授業──骨学、血管学、神経学が終了するまでずっと続けられた。(「藤野先生」から)
魯迅はわずか1年7ヶ月で医学の道を断念して退学していることから、それは藤野の添削が行き過ぎたせいではないか? 藤野の添削は適切であったのか? なぜ藤野はそのような添削をおこなったのか? ──このような謎をめぐって、これまでも多くの研究者がその解明を試み、持論を展開してきた。この本では新たな視点から、またそれぞれの専門分野から「藤野先生」と「医学筆記」を読み解き、謎に迫る。
当時は句読法が定着していなかった
中でもユニークな視点で注目されるのは大村さんの「藤野による魯迅『医学筆記』への膨大な句点『。』(マル)の補完──句読法確立期直前の日本と標点符号黎明期の中国のはざまで──」だ。
論文のタイトルにあるように、藤野は魯迅の医学筆記に膨大な数の句点「。」を書き加えていた。その数、「本書に収録できなかった頁を含めて指折り数えれば、おそらく1000箇所を超えるであろう」という。
現代のわれわれは文章を書くときにはごく自然に、文末には「。」をつけるし、文中、適当なところで「、」をつけるということを行なっている。だが、魯迅の医専留学当時はそうではなかった。
日本では「句読法案 分別書キ方案」(画像はその一部)なるものを文部大臣官房図書課が公表、「。」や「、」の使い方をまず国定教科書から始め、普及させようとした。これが1906(明治39)年3月のことだ。つまり、魯迅の医専留学時はまだ句点や読点の使用については混沌とした状況であった。

新聞の連載小説では今日と同じように「。」や「、」が使われていたが、論文や新聞記事では「、」は用いられていたものの「。」はほとんど使われていなかった。魯迅の故国、中国ではさらに遅れ、1920年にやっと「標点符号」が国によって定められる。当時の魯迅も句読点に対する理解は十分でなかった。
だが、「。」を使わないと当然、意味が正確に伝わらないおそれがある。句読点の使用に関しては先進の地である欧米、特にドイツの医学書に接する機会もあった藤野は、将来を嘱望されていたエリート学生である魯迅にそのことを理解してほしかったのではないか?
魯迅が藤野の指導を受けていた時期が、日本で、また中国で、句読法の必要性が認識され、普及・定着がはかられた時期にまさに重なるというあたりはまるでミステリーを読むようでわくわくさせられる。読者は句読点という、この小さな存在がいかに重要であるか、そしてそこに込められた当時の人々の学問や教育への情熱にまで思いをめぐらせるにちがいない。
「魯迅の仙台留学─『藤野先生』と『医学筆記』─」には大村さんのこの論文以外にも、解剖学や生理学等の専門家の立場からの論考もあり、医専時代の魯迅の意外な(?)素顔がうかがえる「同級生が語る魯迅と藤野先生」(1974年のインタビューを再構成)も収録、「藤野先生」の新訳もあり、と盛りだくさんな内容となっている。豊かな画才を感じさせる(だが、時に正確ではなかったこともあった)魯迅の解剖図など図版も豊富で飽きさせない。


脈管学ノート2ページと28ページ。薄く見える手書き文字が魯迅の筆跡。朱筆の手書き文字は藤野、活字はプロジェクトのメンバーによるもの
仙台では早くから市民有志による魯迅の滞在記録を探索する試みがなされ、やがて「仙台における魯迅の記録を調べる会」に発展、さらに魯迅の留学から100年目の2004年には「調べる会」メンバーや東北大学教職員有志による「東北大学魯迅研究プロジェクト」が立ち上がる。藤野の添削記録や魯迅のテキストを翻刻して「魯迅と仙台」を刊行するなどの活動が北京の魯迅博物館に伝わり、2005年には同館から魯迅が留学中に作成したノートのデジタル版がプロジェクトに贈られた。この後も、魯迅関連の資料を中国各地で展示するなど日中交流が続いている。今回の出版も、こうした活動の系譜に連なるものだ。
「魯迅の仙台留学─『藤野先生』と『医学筆記─』」は社会評論社刊、A5判、本文211頁。1500円。 残部少々につき、希望者はメールで問い合わせを。rojin.sendai120@gmail.com
(2024.12.5)