三丘アカシアトークカフェレポート
── 第16回 権代美重子さん「日本のお弁当文化」
第16回三丘アカシアトークカフェが2月17日に開かれ、81人(うちオンライン参加2人)が参加しました。今回は権代美重子さん(高20回)の「日本のお弁当文化」。参加者のK.A.さん(高20回)からのレポートをお届けします。
権代美重子さんは、高校を卒業後銀行に務め、その後日本航空国際線乗務員・文化事業部講師を経て、41歳で大学に進学、(財)日本交通公社講師、国土交通省や官公庁の観光振興アドバイザーなどをされ、57歳で大学院に進学。70歳まで大学講師として教えられていました。専門は観光学:ホスピタリティ論、国際観光論、都市観光論。
今回は2020年法政大学出版局から出版され、新聞の書評などで取り上げられた自著「日本のお弁当文化」から1.お弁当とは、2.時代と社会をうつすお弁当、3.海外でのBENTO人気についてとポイントを絞ってご講演いただきました。
お弁当とは=携行食
お弁当の歴史は、携行食として消化良く腹持ちの良い干し飯=糒(かれいい)に始まります。米を蒸して乾燥させると二十年間も保存可能となるそうで、現在でもアルファ米として備蓄米となっています。JAXAでは、宇宙日本食として認定しているとのことでした。古文で学習した伊勢物語の東下りの段に干し飯が登場、古くは五世紀、日本書紀第十三巻允恭天皇のところで、家来が食したことが記載され、これが日本のお弁当の初出かと考えられます。允恭天皇は仁徳天皇の第四皇子で履中天皇、反正天皇の弟君です。
時代をうつすお弁当
本格的なお弁当文化の始まりは、江戸中期。1日2食が1日3食へと変化しました。その理由は、江戸時代に火事が多く発生し復興工事などの工事関係者は1日2食では腹が持たないこと、また夜間の照明としての行燈(あんどん)などの普及で人々の行動時間が長くなったことが考えられます。江戸では安くて出来たてをすぐに食べられる屋台が多くありましたので、お弁当は働きに行くときよりも行楽や観劇時に携行されるお楽しみのものでした。
八代将軍吉宗は江戸の三カ所に千本の桜やカエデを植樹したのですが、倹約令など厳しい政策のため、初めは一般庶民の花見は進みませんでした。そこで植樹から二十年を経過した頃、吉宗自らが豪勢な花見を実施したので、一般庶民にも花見、もみじ狩などの行楽が広がっていきました。桜の花の下へ重箱と提重(徳利、杯、取り皿などを収納)を携えて行き、飲食を楽しむ。これが花見の始まりで、その三カ所は現在も東京の桜の名所になっているそうです。
1801年出版の「料理早指南」には当時の花見や弁当の様子が詳しく書かれています。またこの頃、使い捨ての折箱なども考案されたそうです。行楽とともに歌舞伎などの芝居見物も盛んになって、今でも幕間のお弁当は楽しみの一つですが、当時は飲食込みの料金設定で、桟敷席など相当高額でした。芝居茶屋からの仕出し付きで、一日中の芝居見物でした。しかも観劇中の飲食もOKだったそうで、ちょっと驚きでした。しかしかえって観客との結びつきが身近で強いものとなり、今日まで日本芸能の中心として、続くものとなったのかなと思いました。桟敷席は高いので、多くは土間に座り弁当を広げました。それが幕の内弁当の始まりで、膝の上に乗る大きさの弁当箱に白飯のおにぎり、かまぼこに卵焼きなどの副菜を詰める今のお弁当の定番が生まれたのです。
明治期に入ると鉄道の開通で汽車弁当が生まれ、交通網の発達とともに、ご当地弁当が売られ、今も人気の駅弁が生まれました。
2016年、パリ・リヨン駅で駅弁販売を実施したところ、好評だったようです。また駅弁のかけ紙には、一工夫があって、名所案内がある物や乗車マナーが書かれた物があったり、時代を背景に戦意高揚をあおぐ物も見られました。かけ紙コレクターもいるようです。我々になじみの駅弁も紹介され、中でも面白かったのは、蓋を開けたら、ふるさとのオルゴールが流れる松阪のモー太郎弁当や新幹線開通、東京オリンピック開催を祝った0型新幹線弁当、驚いたことに予約注文でしか入手できない13000円と高額な豊岡の柳ごうり弁当の話など、食欲もそそられました。
今では色々な機会に重宝される「松花堂弁当」の誕生の話は興味深かったです。茶懐石に興味を持った吉兆創業者の湯木貞一氏が4つに区切られた農家の種入れの箱をヒントに考案、仕切られることによって冷めた料理、温かい食べ物が同時に入れられました。お弁当が茶道の趣向を盛り込んだもてなし料理に昇華されたのです。彼がこの手法を特許として登録しなかったので、広がったことや、長らく生活雑誌に「吉兆味ばなし」を連載するなど、料理人の心意気を感じた良い話でした。
近年日本社会は高齢化が進み、2026年には、70歳以上が5人に一人、またその4割が一人住まいになると言われています。
1月に発生した能登半島地震などの被災地支援にも弁当の宅配サービスなどが担う役割が大きいです。ライフスタイルの変化の中、総菜などを家庭外で調理したものを購入して食事をとる形を「中食」といい、増えてきています。今や3兆円産業に急成長しているとのことでした。お正月のおせち料理も4割が中食で用意するとのことです。
海外のお弁当人気
その一方で、お弁当の趣味化も進み、弁当のレシピ本も一年に500冊出版されることやSNSの発達により、最近では、「弁当男子」の存在も知られるようになりました。NHK国際放送で「弁当EXPO」が放映されると70以上の国からの応募があったそうです。日本のお弁当文化が海外にも浸透しているのが良く分かりました。近年、日本のアニメやマンガの影響で日本の弁当文化が知られるようになり、それがまたそれぞれの国の食文化や風土とマッチして発展していくように感じられました。
中でもフランスにあるmonbentoというお弁当箱会社の話は驚きでした。シンプルなお弁当箱ですが、環境に配慮したもので、日本を含めて世界76カ国で販売している話やマルセイユにあるBENTOレストランの話も新しい知見でした。講演中、終始好奇心から色々調べたと話されましたが、資料、情報量が豊富で、本当に楽しく拝聴させて頂きました。身近なお弁当の話で、しかも今、海外で評価が高いことも誇らしくうれしい思いがしました。やはり日本人の細やかな心使いやおもてなしの心が評価されているのかと感じました。
いつものように記念写真。皆さまお疲れさま、権代さん、楽しいお話をありがとうございました!
(2024.3.19)