三丘同窓会

早逝した息子の闘病生活を本に/大村泉さん(高19回)夫妻

  白血病のため34歳で早逝した息子が考案した入院服「Fudangi」を製品化、販売を実現させた大村泉さん(高19回、東北大学名誉教授)と妻の陽子さんのことは2021年に当ホームページで紹介、2022年発行の三丘会報にも掲載した。
亡き息子の考案した入院服を製品化/高19回・大村泉さん夫妻

 息子の泰さん(愛称・ヤス)が亡くなって3年になる今年、夫妻は一冊の本を出版した。泰さんの8年3カ月におよぶ闘病生活を、資料をもとに「再構成」した「ReとFudangiに願いを込めて〜ヤス、思い出すままに〜」である。
 コロナ禍で泰さんの葬儀も満足にできなかったが、それも一段落した今年、泰さんの友人たちが企画して9月23日に東京で「大村泰の衣装展」、翌24日に神戸で「大村泰(ヤス、ムラシ)を語る会」が開かれることになった。それに合わせて完成させた。

発病前の泰さん。2010年、ベルリンにて

2011年、吉祥寺のシェアハウスの仲間と。右から二人目が泰さん

 神戸大学と大学院で学び、フットサルチームで活躍、東京のIT企業に就職、仲間たちとシェアハウスで生活…すべてが順風満帆にみえていた泰さんが突然の激痛に襲われ、それが急性リンパ性白血病の中でも難治性といわれるフィラデルフィア染色体陽性型によるものと診断を受けたのは2012年4月。その日から生活が一変する。姉がドナーとなっての造血幹細胞移植は成功したが、激しいGVHD(移植片対宿主病)に陥り、慢性化。薬剤の副作用、後遺症で入退院を繰り返す。当初は「絶対に治して生きるんだ」(同年4月)と日記に書いていたのが時に弱音を吐くようになる。

 ──もう二度と外の世界にかえれないかもしれません。今の自分の状況は90歳過ぎた寝たきりのおじいちゃんおばあちゃんです。誰にも見られたくないし、鏡で自分の姿もみたくないです。(2013年2月8日、泰さんのfacebookから)
 ──病院のベッドで死を迎えるためにだけ生きてることに何の意味があるのか。(2013年3月1日、同)

仲間たちに支えられた泰さん
 泰さんの周りには常に仲間がいた。学生時代の友人たち、職場の同僚、シェアハウスの仲間。入院期間中は次々にさまざまな友人たちが見舞いに訪れ、病院内でも話題になるほど。facebookには友人たちの投稿があふれる。
 「ヤス見てるか?? たっくさんの仲間がヤスの事を待ってる!! たっくさんの仲間がヤスの事を応援してる!!」
 所属していたフットサルチーム「ワリキ」の仲間たちは神戸から「やす #2(泰さんの背番号) まってるゾ!!」と大書した横断幕を持って杏林大学病院から転院した東北大学病院までやってきた。


「ワリキ」の仲間たちはこの横断幕を持って仙台の病院までやってきた。横断幕は今も大村家で大切に保存されている。


 過酷な闘病生活のなかで、泰さんは次第に、残された時間の中で、自分にできることは何かと模索するようになる。それがやがて「店を持つ」ということにつながってくる。「友人と一緒にいるときが一番幸せを感じる」と言ってた泰さんにとって自然なことだったのだろう。
 「自分がやりたいことをつめこんだ店」。「人と人が出会う場所、人と人が繋がっていける場所。そんな店を作りたい。…」
 やがて「Re」というアパレルブランドを立ち上げる。2017年〜2018年ごろだ。ボタンダウンシャツやイージーパンツなどごく限られたラインナップだが「5年後、10年後も着たいと思える服」をめざし、着心地に凝った。
 ──自分の存在を忘れないでほしい。
 ──自分の代わりとなるものを作って生きた証にしたい。
 後の「Fudangi」は「Re」の延長線上にあった。着脱が容易で実用的でありながらファッション性にも富む。

 2019年7月に泰さんは神戸へ転居。神戸大学病院に転院する。
 ──僕は元気になったから引っ越したんだということではないです。むしろ全く逆で、徐々にではありますが、日に日に増している痛みが自分のキャパを超える前にもう一度でいいから自分の少しでも満足出来る道を選びたいと思っての決断です。(2019年7月11日、facebookから)

 泰さんにとって最後のチャンス。それを神戸で、と考えた。
 久々の一人暮らし。友人たちが泊まりがけで支援に駆けつけてくれた。食事や病院の送迎も手伝ってくれた。「ヤス生存確認」というグループラインも開設された。
 もはや目もあまり見えなくなっており、口述したことを友人にパソコンに打ち込んでもらう。薬の副作用でもろくなった背骨の圧迫骨折。ベッドから動けない日々。 入院服「Fudangi」の企画がそのような厳しい状況下で進められたことに驚かされる。泰さんは絶えず繰り返していた。
──俺には時間がない。悔しい。
 病床の自ら「Fudangi」の被験者になる。完成まで、あとほんの一歩だった。

執筆を通してあらためて息子と出会った夫妻
 執筆にあたり、昨年秋ごろからまず資料集めにとりかかった。夫妻自身の手書きメモ、病院から渡されたデータ、泰さんの日記。生前は読むことができなかった泰さんのfacebookなど。それらの資料を整理・デジタル化した後、今年の春頃から執筆開始。8月脱稿。陽子さんはプロローグや第1章の原案を書いたほか全体の朱入れも担当するなど文字通りの共著。泉さんにとっては研究書以外で初の著書となった。
「母親は記憶に基づく再現で、父親は記録に基づく再現です。僕は職業柄、記録がないと書けないし、記録と記憶との、また記録相互の齟齬そごがあったりすると気になるのでずいぶん調べました」と大村さん。

 本を作る過程で夫妻が初めて知った泰さんの姿もあった。
 書いていて辛い章もあったが、体調が安定していた時期、起業に向けて動き出したころの資料を見つけて読み返したときは「久々に元気な、生き生きした泰に再会できたような、嬉し涙が出るときもあった」そうだ。

 本を読んだ人たちからは「圧倒されました」「ヤスさんの芯の強さに心を打たれました。病気と闘いながら、自分の思いを具体化し、形にしていったことも、ただただ感嘆するばかりです」「約8年アイツが辛かったという事実は別にして、ヤスは本当にカッコいい漢ですね」等々の感想が夫妻のもとに寄せられている。

 「ReとFudangiに願いを込めて〜ヤス、思い出すままに〜」はA5判、本文194ページ。非売品。残部少々。問い合わせは大村さんへ。hello@fudangi.jp

 
〔2023.11.10〕