三丘同窓会

「東京と大阪、2つの拠点で活動しています」/幹事さんに聞きました/高8回

 三八会(さんぱち会)の名称、三は三国丘の三、八は高8回の8に由来する。卒業後、67年を経てもなお活発に同窓会活動を継続。1937〜38年生まれ、戦前戦中戦後を生き抜いてきた世代で、今年85〜86歳になる。
 同窓会活動が活発になってきたのは還暦を越えた頃。多くの人が定年退職し、時間的に余裕が生まれてきたことが大きい。それまでにもゴルフやテニスなどの有志の会があり、これが核となり本格的な同窓会活動につながっていったそうだ。現在、大阪、東京で幹事をされている塩路正信さん、和田野武さんにお話を伺った。(以下、文中の氏名は全て旧姓表示、敬称略)

大阪の「歩こう三八会」

 塩路 大阪の活動で特徴的なものは「歩こう三八会」です。
 1998年、関西中心に女性たちが「歩こう会」を作り、毎月1回、日曜日に里山を歩き始めたのが始まりです。
 リュックサックを背負っておよそ10kmを歩き、健康増進とともに旧交を温める機会としています。月例会にもなり、通算で100回を超える頻度の高い、長期にわたる行事になっています。大阪、京都、奈良近辺で実施しました。石清水八幡宮へ行った時は、本殿の「平成大修理」の最中で、参加者全員で寄進も行いました。
 2002年からは、毎年5月に一泊旅行も実施しました。思い出としてその都度多くの写真と記録を残し、各期だよりにも活動記録を投稿しています。毎回20〜30人が参加しています。コロナ禍が収まれば再開の予定です。


月ヶ瀬梅渓の歩こう会(2003年3月)の記録

東京は「いつも代々木倶楽部」と決めて

 和田野 東京地区にも多くの同窓生が在住しており、「東京三八会」として同窓会活動を行ってきました。1983年春頃、在京のバレーボール部OB(英賀隆一郎、泉茲生、他2名)の集まりで、東京三八会を開こうということになり、旧・新日本製鐵株式会社の新山谷寮(現・代々木倶楽部)を同社社員だった野々垣晴久が手配し、宮本正博が事務(開催案内状の作成・発送など)を担当しました。第1回はその年の8月21日に開催しました。幹事は岡本三智子、田辺寛子、他2名、参加者は25名でした。
 以来、活動は毎年の代々木倶楽部での総会が中心となり、現在まで37回の会合が行われています。少人数で旅行や会食も行っており、会員登録数は約40名、今後はグループメールなども活用の予定です。直近では2022年6月に幹事中心の有志懇談会を開催しました。
 現在の幹事は5名。メールで連絡を取りあっています。常任幹事が和田野、小西正員、関(辻川)陽子、小谷(銅道)恵子、赤井(伊藤)伊藤繁代で顧問は津村周伝、他2名。東京・大阪双方に籍を置いている会員がおり、連絡はよく取れていると思います。双方の会合に各人が自由に参加しています。

2019年に開かれた第37回東京三八会

 東京三八会が継続できている要因としては、設立以来総会開催日を毎年8月の第3日曜日に固定したこと、総会の会場として代々木倶楽部を確保できたことがあげられると思います。会場に関しては、高級感ある雰囲気、満足のいく料理の質や価格、予約が容易、新宿に近い、という利点があります。同じ日、同じ場所で仲間に再会できることが楽しみになり、〈また来年代々木で会いましょう〉というのが心の支えになっています。更に毎年輪番制の幹事が誠実に業務を実行してきたこともあるでしょう。毎年1回昔の仲間に会い、心ゆくまで語り合うことが、大阪の母校を訪れることに代わる安らぎとなっています。

元気なうちは毎年総会を

 同期会を2022年6月に3年振りに岸和田市の五風荘で開催、34名が参加したという高8回。今のところ、同窓会活動に終わりの期限は設けていない。元気なうちは毎年一度総会を継続したいとのこと。人生100年時代を見据えた活動でもある。高齢化が進む他の学年の同窓会活動にも参考になるだろう。
 大阪の幹事、塩路さんの在校時の思い出は、部活─サッカー部。当時は1期上に小中高の先輩の川淵三郎さんがおられ、一緒に全国大会に行ったこともある。今も地域の高齢者向け健康推進活動を積極的に行っているそうだ。
 東京の幹事・和田野さんの思い出は、和歌山までのウォーキングレース、大阪刑務所周りのランニング、3年の時サッカーで大阪大会決勝まで勝ち進んだが、朝鮮高校に敗れ全国大会出場の機会を逃したこと、三丘食堂(三国屋)に頻繁に行きお好み焼きを楽しんだこと、先生のあだ名付けなど。現在は横浜在住で食品類のインターネット販売を営んでいる。
 お二人とも当時を思い出されて懐かしく語られていた。

〔聞き手=高26回・妹尾敏男、高34回・小池稔、高39回・東良庄吾〕 
 
〔2023.6.28〕