故・片桐修一さん(高21回)のブログ「みみずくの世迷言」、同期生が協力して出版
このたび、日本血液学会専門医で市立豊中病院元病院長の故・片桐修一さん(高21回・享年70歳)の同期生が中心となって、片桐さんのブログをまとめた著書「みみずくの世迷言」を発刊するに至った。その過程を編集委員長を務めた、同期生の丸山登志子さんに伺った。
高21回のサイトに連載した人気ブログ
片桐さん=写真=は文学や哲学の分野に進みたい気持ちもあったが、祖父は堺中10期の、父は堺中40期の医師という医者の家系に育ち、自然と医学の道に。
医師として誠意を持って患者と向き合い、疲れていても、不安なときも、「頼りになる主治医」の“着ぐるみ”を着ながら(ラストブログ参照)、主治医として心の支えになれるよう努めていたという。
その一方で文才を生かし、大阪府医師会の発行する「大阪府医ニュース」に2009〜2021年にコラム116本を掲載、2011年に豊中病院の院長になってからは「病院長のブログ」を100回余りにわたって連載、2015年には母校の120周年記念誌「三丘百二十年」の「三丘人物誌」の原稿を3編担当、2015~2016年には大阪日々新聞の「澪標」欄にコラムを連載するなど旺盛に執筆活動を展開した。
だが、2013年、胃がんが見つかる。手術、肝転移、合併症と続く闘病生活を過ごしたのち、しばらくは再発なく過ごしていたが、院長職を突然辞したことで周囲に迷惑をかけたからと、一線を退いていた。
丸山さんは、片桐さんの「病院長のブログ」を楽しみにしていたので、なくなってとても残念だったという。それで運営していた高21回のホームページにブログを書いてもらえないだろうかと頼んでみたところ、こころよく引き受けてくれた。
月2回。2015年2月15日から亡くなった2021年3月16日まで。原稿が届かなかったのは前日の3月15日だけだった。治療に入るからと前もって数回分を出してくれることもあった。ラストブログは自分が亡き後にと事前に預けられていたものだ。それを聞くだけでも、片桐さんの人となりがうかがい知れる。ユーモアに富んだ、優しい語り口。それでいて医学の最先端の情報をわかりやすく伝えようとする姿勢は多くの読者を魅了した。
片桐さんの告別式に参列した際、一冊の本が丸山さんの目に留まった。それは「大阪府医ニュース」に片桐さんが連載していたコラムをまとめた冊子「『ミミズクの小窓』集」だった。
「こんな風にあのブログも本にできたら……」。同期生に相談して、出版委員会を立ち上げた。見積もりをとってみると、一冊の価格が高すぎる。これでは多くの人に手に取ってはもらえない。カラーページを減らし、ページ数を減らせるようにレイアウトを考えた。そんな折り、DTPソフトがあるのでレイアウト作業をしますよという後輩が現れ、完全データで入稿できることになった。再見積もりをしてもらうと、2000円/冊の価格設定なら、経費も入れて赤字の額もなんとかなりそうだというところまでこぎつけた。2022年11月6日に高21回の学年同窓会を開催する予定だったので、その日に合わせて発行するつもりで準備には時間をかけることができた。
出版が決まると予約者、支援者が続々現れて
同期生に購入予約と一緒に寄付を募ると、応えてくれる人や複数予約をくれる人がかなりいて、すぐに赤字は免れる見込みとなった。
当初は同期生に100冊、それ以外に100冊程度購入してもらえればと考えていた。ところがチラシを作って宣伝すると、同期生から200冊ほど、同期生以外の、三丘生の先輩後輩、母校関係の先生方、大阪府医師会、豊中病院の関係者などからも200冊ほどの予約が寄せられ、予想をはるかに超えた、2倍にあたる400冊以上を購入してもらえることになった。
これも片桐さんの人徳と本著の内容の高い充実度のたまものと改めて感じたという。
表紙の絵やデザイン、イラストなどは同期生や後輩、病院関係者を通じて頼むことができた。日本医師会副会長であり、前大阪府医師会会長の茂松茂人さんと、三丘生後輩の脚本家、今井雅子さん(高40回入学、高41回卒業)に推薦文をお願いしたところ、おふたりとも素晴らしい推薦文を寄せてくださった。同期生に追悼文を募ると次々と故人との思い出が届けられた。約300ページにわたる校正を手分けして行うのもひと苦労だった。
こうして多くの人の協力を得て、この一冊は完成した。製本された書籍が届いたときは想像した以上に素晴らしく、感激したという。予約数に1割ほど増やして発注したが発行後1カ月ほどで完売したそうだ。
ところで、どうしてミミズクなのか?最後に丸山さんに聞いてみた。
「ミミズクって首がぐるっと回ってどの方向も見渡せるでしょう。でも、できることってネズミを捕らえることぐらいなんだよね、って……」片桐さんは言ったという。
見渡した景色を多くの人に見せてくれた片桐さんだった。