「幹事さんに聞きました」その2/高3・4回
高3回と高4回は、卒業から70年近く経った今も、毎年、学年同窓会を開催している。「どのようにして長く続けてこられたのか」。長年、学年同窓会を支えてこられた方々に伺った。今年1月末に高4回代表幹事の野村憲司さん、翌週には高3回学年幹事の田中登志子さんと大西林子さんに三丘会館でお話をお聞きすることができ、2つの学年の同窓会が持続する理由が分かってきた。
共に過ごした時間と空間の重み
第一の理由は、野村さん(写真)が「男子と女子で状況は違うけど、わしらの学年は長い者は6年間、いっしょやったんや」(※注1)と語るとおり、共に過ごした時間の長さだ。同じ場所で青春時代を過ごした親近感が持続する力の源になっているようだ。幼少期から青年期にかけて戦争の時代を体験したことも背景にある。それに加えて、カルチャーショックとも言える男女共学の開始があった。高3回も高4回も、男女別学だった旧制中学や女学校に入学、1948年から男女共学になって、新制三国丘高校を卒業したことになる。(※注2)
先生方の気配り
第二の理由は先生方の気配りだったという。男女共学で最初は戸惑いがあったものの、次第に生徒間の親近感が深まった背景には、仲良く交流できるようにしてくれた先生方の存在があった。例えば、3人が共に即答された桜井郁子先生だ。大学を出たばかりだった先生は、男女ごとに固まりがちだった生徒の座席を混合形式にしたり、寒い冬の朝には校庭で一緒に縄跳びをさせたりして、男女が仲良くできるように工夫してくれた。その甲斐あってか、両学年とも同窓生同士の夫婦が多いという(※注3)。
先生方の気配りは、卒業後も続く。桜井先生は今もお元気で、高3回、高4回の学年同窓会に、つい最近まで出席されていた。
同窓会のお世話をするようになったきっかけを尋ねると、お父さんを亡くしていた田中さんは、卒業時に就職指導の担当だった「オーボン」こと村上久三郎先生から、「卒業から20年、そろそろ学年同窓会をやったら」と声を掛けられたことがあったという。後日、野村さんにもこの話を伝えると「アッ、そうやった、オーボンからやった」と思い出された。
学年同窓会のお世話は楽しい!
第三の理由は、学年同窓会を楽しんでいることだ。野村さんによると「わしらは毎月第3水曜日に堺近辺の者で昼食会をするんや、昼間やから酒は飲まんで!」とのこと。学年幹事とクラス幹事が定期的に集まる機会があることが、高4回の同窓会が長続きする原動力になっているようだ。
いっぽう高3回の田中さん、大西さんは「幹事の男の人は難しい話題ばかりで事務作業が進まんから、ハガキ発送など実務的なことは大かた私ら2人でずっとやってますよ」とこちらは女性パワーが牽引している。
田中登志子さん(左)と大西林子さん(右)
毎年の開催日・会場は決めてます
高3回は71年の初回開催のあと、2回目は73年、その後は次第に間隔が詰まり、80歳を越えてからは毎年になった。開催日は10月の最終木曜日、ホテル・アゴーラリージェンシー堺と決めている。「なぜ木曜日に?」と聞くと「私らが通うお医者さんが休みだから(笑)」、「料金が安いから」、「日曜はゴルフに行く人が多いから」と即答された。かたや高4回の初回は61年、野村さんが学級幹事団を立ち上げてスタート、昨秋でなんと58年連続開催を成し遂げた。こちらも10月の最終日曜日に難波のスイスホテル南海大阪と決まっている。
いつまで続けるかと野村さんに問うと「米寿の年までと考えて、今年、幹事長に津田和明さん(元・サントリー副社長)を立てた。これで幕を引こうかとも思うけど、幹事長は2年任期やから、どうなるか分らんな…」とニヤッとされた。
〔聞き手:高19回・小林昇一、高34回・小池稔〕
※注1
戦後の学制改革により1948年(昭和23年)新制三国丘高校と泉陽高校が発足。旧制堺中学校、府立高女(今の泉陽高)、堺市女(学制改革で廃校)の3校の生徒が、2校に分れる形で男女共学となった。三校交流と呼ぶ。
※注2
・高3回(45年入学)は、旧制度で3年生を終え、48年に新制高校1年生に。51年卒業。
・高4回(46年入学)は、旧制度で2年生を終え、48年は併設中学3年生。翌49年に新制高校1年生に。52年卒業。
※注3
野村さんご自身も同窓のご夫婦で、後日、奥様から体育祭で歌った「3年生応援歌」をいただいた。一節を紹介すると「モシモ3年敗ケタナラ 電信柱二花ガ咲キ 焼イタ魚ガ泳ギダス」「教師、教師トイバルナ教師 教師生徒ノナレノハテ…」という具合である。
(2020.6.6)