三丘同窓会

所蔵資料に見る旧制堺中学校の生活
 資料室では、2025年の「母校創立130周年記念事業」での記念誌発行を見すえて、未整理資料の内容確認も含めた所蔵資料全般の整理をスタートしました。今回はある程度の整理ができた資料から、旧制堺中学校の学校生活の一端をご紹介します。

寄宿舎があった



 夏目漱石の「坊っちゃん」(1906)に寄宿生が登場するように、当時、全国の旧制中学の多くに寄宿舎があった。
 1895年に府下2番目の旧制中学として創立された堺中学校にも、寄宿舎が併設された。校舎の南に、寝室や「自修室」がある2階建て2棟と、食堂がある平屋1棟が並んでいた。ちなみに当時の正門や校舎は、現在の母校と同じ位置関係になっている。(上の配置図参照)

 資料室には舎監による大正期の寄宿舎日誌や、明治期の日誌を編年体でまとめた「寄宿舎沿革史料」が保存されている。それによると複数の教諭が舎監を兼務し、交替で宿直も行なった。春、夏、冬の長期休みは閉舎し、寄宿生は自宅に戻った。食事の献立案は炊事部委員が考え、実際の調理や買い出しには賄い人があたった。土曜日の夕食後には茶話会などの催しが開かれ、体育会や観月の会、兎狩りなどの行事を行なうこともあった。入浴は週2回(大正期は3回)、日に1回の間食も楽しみだったようだ。

 明治末(1912)年までは全校生徒の15%前後にあたる数十人の寄宿生がいたが、大正期に入ると学校の増加や自転車の普及で寄宿生は激減し、母校の寄宿舎は1924年でその役割を終えた。


中学記念帖



 「中学記念貼」と題した3冊のスクラップブックがある。中36期(1930年度~34年度在学)の上村修治さんが、学校から配られたプリントなどを貼付したもの。行事の案内、保護者宛の連絡、教科書や制服の販売案内、水泳の認定証など、100点余りが時系列で保存されていて、90年前の学校生活の様子が生き生きとよみがえってくる。

 32年には昭和新校舎の竣工に関連する資料も多い。34年には堺市に大きな被害を与えた室戸台風があった。雑誌部による「九月二十一日」という小冊子が上村さんの記念貼に綴じられている。在校生約30名が当日の様子を寄稿した体験談は貴重なものだ。


〔2023年・記=資料室担当・藤田正身(高23回)〕