三丘同窓会

文化祭特集その後(1)プログラムや写真の提供相次ぐ

 三丘会報74号はご存知の通り特集のテーマを「文化祭」とした。
 表紙には三丘資料室に保存されている文化祭の歴代プログラムの表紙を配したが、残念ながら資料室のコレクションにはかなり欠けている部分がある。そこで編集後記で「もし、欠けている分の文化祭のプログラムがお手元にあれば提供を」と呼びかけたところ、うれしいことにプログラムや写真などの提供が相次いだ。  

 第44回文化祭のプログラムを持って来られたのは高45回・坂本(旧姓・田村)恵子さん。「現役の三丘生の息子が持ち帰った三丘会報(編集後記)を見て、実家を探したら出てきたもの」だそう。文化祭の思い出は?と尋ねると「飲食店のときはみんなでワイワイ買い出しに行ったり、劇のときは台本の言葉を練ったり、下校時間ギリギリまで練習したりと…文化祭当日に向けてクラス一丸となって楽しく準備したことが思い出されます」とのことだ。



 第12回・13回文化祭プログラムと、第5回演劇コンクール(1961年)のプログラム(上)を寄贈されたのは高14回・阪本(旧姓・桂)和子さん。文化祭に関して思い出深いのはクラスで協力して準備した演劇で、1年時の「修善寺物語」が印象に残っているという。
 12回と13回のプログラムの表紙は同じ意匠が使われているが、これは18回と22回でも使われているものだ。元は何の絵なのだろう?
 演劇コンクール(演劇祭)はこの頃毎年3学期に、文化祭とは別に行われていたもの。翌年の第6回が最後となった。



 「我々が5年生の秋(1946年11月)に第1回堺中祭が開催された。その時のプログラムはガリ版・A4だったと思うが手元にない。写真ならある」と、送ってくれたのは中48期・森田治男さん。
 森田さんが在学した頃は勤労動員もあって勉強どころではなかった。4年で終えて兵学校や士官学校に進んだ同級生たちは戦争が終わるとまた戻ってきた。若者が翻弄されたそんな時代がやっと終わり、「何か面白いことをしたい」という機運が高まって実現した文字通りの「祭り」が堺中祭だった。写真(上)は仮装行列のシーンらしく、75年前の堺中生の生き生きとした姿が鮮明に残っている。

 10歳上のお兄さんの影響で早くからカメラに親しんでいた森田さんは、堺中祭当日も自分でカメラを持ち込んで撮影した。「当時、個人で撮影したのは私のみ」という。
 長く技術畑で働き、現在92歳だがパソコンも使う。上の写真も当時のものを複写して自身でレタッチしたという。写真は趣味として今も続けており、グループ展で作品を発表したりしているそうだ。
 「(文化祭がまだなかった頃の)堺中祭なので、第何回文化祭かというと…『0回』ですな」と言って楽しそうに笑われた。

 さらに、もう1件、文化祭関連の寄贈があった。これについては「文化祭特集その後(2)伝説となった3年1組の宝塚歌劇」を参照。

(2021.8.1)