三丘同窓会

文化祭特集その後(2)伝説となった3年1組の宝塚歌劇


 高21回・福田(旧姓・小野)啓子さんが提供してくれたのは第21回文化祭(1968年)で当時の3年1組が上演した歌劇「ラプソディ」の写真を収めたアルバムだ。

 この頃、3年1組は文化祭の花形だった。当時の学校新聞である三国丘高新聞では「例年のごとく三年生の貫禄をあますところなく発揮している一組の劇は、今年も他を圧倒的に引き離し、大好評」(65年・第18回文化祭評)、「文化祭前からすでに人気の的となっていただけあって、当日は立錐の余地もないほど観客を動員」(67年・第20回文化祭評)等、毎年のように高評価。2時間に及ぶ大作ながら観客を引きつけ、豪華な衣装も評判で、下級生たちの憧れの的。出演者がまるで本物のスターのようにサインを求められることもあったという。演劇部そこのけの人気と実力を誇ったと思えるこのクラス、3年1組とはいったい……?

文化祭では他を圧倒

 かつて母校では3年生に女子だけのクラスが存在した。名称はその時々で変化しているが、一般コースあるいは就職・家庭コースなどと称され、進学(文科系・理科系)コースとはカリキュラムが異なっていた。
 1950年代にはそのようなクラスが2クラスあり、いずれも女子のみ。次第に1クラスだけになり、60年度以降は「3年1組」といえば女子だけの、就職・家庭コースをさすことになる。ただし、就職希望者は減少の傾向にあり、福田さんの頃の3年1組は「就職・短大コース」。音大に進学する生徒も何人もいたという。福田さんも大阪音大へ進学した。

 「3年1組」はいつから文化祭で圧倒的存在感を見せる特別なクラスとなっていったのか。

 現在、資料室の資料で確認できる限りでは、文化祭に「3年1組」としての出演が確認できるのは1954年の第7回文化祭だが、詳細が分かるのは60年の第13回。この時の演目は「民謡 北から南から」となっているが、民謡とはいっても劇と同様に演出や振付や装置担当者の名前が記されており、演劇仕立てのものであったようだ。

 劇を上演するようになるのは翌61年の第14回、日本神話に材をとった「イワナガ姫物語」からだ。15、16回の演目は不明だが、17回ではすでに「毎年文化祭に大活躍する三年一組は今年も延々二時間の大作”真夏の夜の夢”を見せてくれた」(三国丘高新聞)と書かれているので、この時にはすでに評判が定着していたことになる。
 そして、18回の「南の哀愁」からは女子だけのクラスであることが生かせる宝塚歌劇の作品が選ばれる。以後、19回は「霧深きエルベのほとり」、20回は「忘れじの歌」と続く。

先輩の舞台を見て感動

 福田さんは1966年、1年生の時の文化祭で3年1組の「霧深きエルベのほとり」を鑑賞。もともと音楽や宝塚歌劇の世界に興味を持っていた福田さんは「宝塚歌劇団に入らなくてもこんな素晴らしい経験ができるのだ!」と感激。進路選択で何の迷いもなく、「3年1組」を選んだ。


写真とともに当時使われた台本も収められている。ところどころに赤線が。



 3年生になると6月の文化祭に向けて、すぐ準備が始まった。
 上演することになったのは宝塚歌劇団月組でこの年4月〜5月に上演された「ラプソディ」。YouTubeもインターネットもなかった時代。作品はその時に実際に公演が観られるものから選んだ。監督を務めた帖佐(旧姓・丹上)佳子さんは何度も宝塚まで舞台を観にいって研究したそうだ。
 「配役、大道具係、小道具係、衣装係等、クラス全員一丸となって取り組みました。大道具係は、毎日遅くまで、場面、場面の背景をベニヤ板に描き、衣装係は、高20回の先輩に紹介していただいた舞台衣装の貸衣装屋に行ってドレスや白い軍服等を借り、男子の学生服に金色のテープを貼って軍服風にしてくれたり、体育の播本清子先生のキュロットスカートを借りたり、色々工夫してくれました」(福田さん)

 文化祭では手芸品のバザーも出店した。1組だけは、劇に費用がかかるだろうということで、毎年バザーをする許可を得ていたのだ。過去には、先生のはからいで家庭科の時間に衣装を縫ったこともあった(三国丘高新聞第17回文化祭評から)という。先生方も3年1組が思い切り劇に打ち込めるよう配慮したことが分かる。

 そして迎えた文化祭当日。
 「ラプソディ」は大成功。三国丘高新聞は、近衛中尉フレンツとお針子エミリアの物語は「若者の心に残るような演劇」、観衆は「感嘆のしどおしであった」と絶賛した。

「ラプソディ」が最後の作品に

 しかし、福田さんら21回生を最後として、その後就職・短大コースが編成されることはなかった。22回生が3年生となった1969年度は、事前調査の結果、就職・短大を希望する生徒はわずか7人しかいなかったからだ。女子だけのクラス「3年1組」は、数々の名舞台とともに伝説となる。

 今回の文化祭特集を見て「高校を卒業して53年ぶりに当時のことが昨日のことのように思い出されました。『ラプソディ』のアルバムを、学校でみなさんに見ていただけたら良いなと、寄贈いたしました。興味のある方にご覧いただければ幸いです」と福田さん。今でも3年1組のクラス会は続いているそうだ。


「ラプソディ」を演じた高21回の3年1組の生徒たち。後列右端は担任の森田一枝先生。
(2021.8.1)

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