高38回・橋口博一さんが社会人野球「大阪ガス」の新監督に
高38回・橋口博一さんが社会人野球の強豪、大阪ガスの新監督に1月1日付で就任することが発表された。1983年に三国丘高校に入学した橋口さんは、1年生の秋から4番に定着。秋季近畿大会大阪府予選では、松田光広投手(1年)、八木繁幸主将(2年)のバッテリーとともにチームを牽引した。決勝で桑田、清原両選手を擁するPL学園に0対1で惜敗したものの見事に準優勝、橋口さんも準決勝では延長13回にサヨナラヒットを放つなど、母校野球部50年ぶりの選抜高校野球大会出場に大きく貢献した。
84年3月26日、甲子園緒戦の日大三島戦。2点リードで迎えた9回裏、5回に受けた死球の影響で松田投手の球威が落ちて1点差と迫られ、なお無死満塁のピンチ。ファーストから急遽リリーフしたのが橋口さんだった。一死を取ったものの5対6でサヨナラ負けとなったが、プレッシャーがかかる中での堂々としたピッチングは、多くの同窓の記憶に残っている。
慶応大学に進んだ橋口さんは東京六大学でも活躍、主将も務めた。91年に大阪ガスに入社後も捕手、一塁手として都市対抗に3回、日本選手権にも2回出場し、91年の日本選手権では準優勝を果たした。94年で現役を引退、マネージャー、コーチを務めた後は社業に専念していたが、2013年から野球部副部長を務めていた。
画像は84年の選抜大会当時、同時に出場したPL学園の清原和博選手とともに掲載された毎日新聞の記事。「185センチ、85キロの堂々とした体格。控えの投手でもあり、ナインの信望も厚い」と紹介されている。
(2017.12.27)