泉北をレモンの街に/ 高34回・苅谷由佳さんらがプロジェクト企画
堺市南部に広がる泉北ニュータウン。高度成長期に誕生、緑豊かな住宅地としてすっかり成熟してきた反面、住民の高齢化も進むこの街をレモンの街にしようというプロジェクトが進行している。高34回・苅谷由佳さんを代表とする「泉北レモンの街ストーリー」だ。企画がスタートしたのは2015年7月。前年に堺市が住民参加型のプロジェクトとして立ち上げ、苅谷さんも参加した「泉北ニュータウン魅力発信プロジェクト(その後「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」に改称)」から生まれたものだが、行政に頼ることなく独自の市民グループとして活動している。
苅谷さんの本業はパソコンインストラクター。夫の転勤で各地を転々とし、両親が建てた家のある泉北ニュータウンに腰を落ち着けたのは十数年前。たちまち泉北が好きになった。泉北の魅力を広く知ってもらいたい。だが、それまで住んだ街に比べて「泉北といえば○○」といえるものがないことに気づく。何かないかと考え、自宅の庭の2本のレモンの木に思い至った。両親が植えてそのままになっていたものだが、特に手入れもしないのに毎年300個もの実がなる。ひょっとしたら泉北はレモンの栽培に適しているのかもしれない。そうだ、これを街の名物にしよう。レモンならさまざまな加工もできる。街のあちこちにレモンの木が植えられ、駅に降り立った人をレモンの香りが迎える。レモンを使ったケーキや料理を楽しめる店もある──そんな街になったら、きっと楽しいはず。
7月に行われた草木染めワークショップ(中央が苅谷さん)。
乾燥したレモンの枝や葉を使うと手ぬぐいやコースターが淡いレモン色に染まった。
制作したものの一部は先頃行われた「泉北ファーマーズマルシェ」で販売された。
乾燥したレモンの枝や葉を使うと手ぬぐいやコースターが淡いレモン色に染まった。
制作したものの一部は先頃行われた「泉北ファーマーズマルシェ」で販売された。
このアイデアを「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」の仲間に話すと、13人の賛同者が集まった。「泉北レモンの街ストーリー」という魅力的なネーミングは苅谷さんの発案。2015年9月にはさっそく植樹を始める。ほんとうは道路沿いの法面に植えたいが市の許可が下りず、個人宅や会社、施設などでの栽培から広げていく。地元の園芸店に協力してもらい、苗木を購入する際は「泉北レモン」の名前と通し番号入りの木製プレート(泉北レモンプレート、500円)も購入してつけてもらうことにした。すでにレモンの木を栽培している場合はプレートだけつけてもらう。代金は活動資金の足しにする。こうして、これまでに幼稚園や老人ホーム、学校などを含め320本が植樹され、プレートだけ購入した人も40人に達した。
今年の春には初めて、レモンを使ったマーマレードやシロップの商品を作り、販売した。7月にはレモンを使った草木染めのワークショップを開催、8月には泉ヶ丘駅前広場にレモンの木の鉢植え2本を置いた。広場を管理する南海電鉄に交渉して実現したものだ。9月には茶山台公社団地の敷地内にも植樹することになっている。毎年3月には「泉北レモンフェスタ」を開催する。
活動は新聞やテレビでも何度か取り上げられ、順調にみえるが、苦労も多い。植樹できる場所はまだまだ限られている。現在3個所の土地でレモンを育てているが、夏の草刈りなど、慣れない身には重労働だ。活動資金も十分でない。それでも「ミカンの木にレモンが接ぎ木できるので、後継者不足のミカン農家と協力できるかも」「泉北高速の特急が『泉北レモンライナー』になったら」と楽しそうにアイデアを語る苅谷さん。趣味でも遊びでもなく、真剣に事業化をめざす。プロジェクトに協力してくれる人を募集中だ。
くわしくはhttp://lemon-organic.netで。
8月26日、泉ヶ丘駅前広場に設置されたレモンの木と。
この木は3年くらいだが、実がいくつもついている。
この木は3年くらいだが、実がいくつもついている。
(2017.9.3)