三丘同窓会

朝ドラ「わろてんか」で米屋指導/高28回・河中義和さん
 放映中のNHK連続テレビ小説「わろてんか」。オープニング画面に「米屋指導 河中義和」の名前を見つけ、「おや?」と思った人もいるのではないだろうか。

 ドラマのヒロインは京都の薬種問屋の長女だが、駆け落ち同然で家を飛び出し恋人の実家である大阪船場の米問屋「北村屋」へ。ここでさまざまな苦労を重ねる日々が前半のハイライトのひとつになる。時代は明治時代後期。当時の米問屋を可能な限りリアルに再現するためにNHKスタッフが協力を求めたのが、堺市堺区の河中米穀店代表、高28回・河中義和さんだ。

 とはいってもその時代の米屋に関する資料は乏しく、河中さんも当時のことを直接見知ってるわけではない。今年の春頃から番組担当者たちと協力しながら調査を進めた。ドラマに出てくる足踏み式の精米機については、「子どものとき使うてた」という堺市内の元米穀店主を見つけて話を聞くことができ、大いに役立った。また、精米した米を入れる白い木綿の袋はかつては一般的に使われていたものだが昨今は見かけない。ところが、実は河中米穀店では今も「通い袋」として使っており、これが「北村屋」の袋のモデルに。このほか、米屋の店の造りから米を量るシーン、販売するシーンなどについてのチェック役を務め、スタジオ・リハーサルにも立ち会った。一部、専門家として疑問を感じるストーリー展開もなかったわけではないが、そこはドラマだからと割り切ったという。
 いよいよ7月上旬に米屋のシーンの撮影が行われたが、残念ながら平日の昼間に行われたので河中さんは撮影に立ち会うことはできなかった。撮影が終わってからも「(ドラマのストーリーに関わることなので)放映まで絶対口外しないで」と言われていたとか。テレビ画面に名前が出たのは10月23日と30日。これでやっと解禁となり、苦労も報われた。

 ところで河中さんの生家は元々、堺市の柳之町で「八百新」を名乗っていた商家。米屋を始めたのは父親の義三さん(中49期)で河中さんは二代目だが、大学時代には米屋を継ぐことを決意、中央大学商学部を卒業後は企業で商売の基本を学んだ後、家業を継いだ。現在は、約200店が参加する大阪府米穀小売商連合会(大米連)の会長を務め、大阪での「お米マイスターネットワーク」の立ち上げにも関わった。大米連と大阪ガス共催の「大阪府民のいっちゃんうまい米コンテスト」も今年第7回を迎え軌道に乗っている。時には食育のため学校で出前授業もする日々。いまや大阪のお米屋さんの「顔」というべき活躍ぶりだ。ちなみに元・母校PTA会長、現三丘同窓会常任幹事、三丘体育会の理事長でもある。
(2017.11.21)