川淵三郎さん(高7回)が文化功労者に
日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎さん(高7回)が2015年度の文化功労者に選ばれた。川淵さんは母校入学後にサッカーを始め、3年生のときに全国大会に出場、ベスト8まで勝ち進んだ。浪人中もサッカーをするために母校に通い、そのときに出場した試合で認められ早稲田大学に進学。入学と同時にレギュラー、2年生で日本代表に選ばれる。1964年の東京オリンピックでは、強豪アルゼンチン戦で1ゴール、1アシストを決めて逆転勝利に貢献し、日本チームはベスト8に進出した。
現役引退後、古河電工監督、日本代表チーム監督を経て、1988年日本サッカー協会理事に就任し、プロリーグ設立に尽力。1991年日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)発足を実現して、初代チェアマン(理事長)に就任。日本に一大サッカーブームをもたらした。日本サッカー協会キャプテン(会長)、名誉会長を経て、現在最高顧問。
また分裂していた日本バスケットボール男子リーグの統一に向けて尽力し、2015年5月に日本バスケットボール協会の会長に就任、6月には国際試合禁止の制裁の解除を果たした。
2009年秋の叙勲で旭日重光章を受章した。
同窓で文化功労者に選ばれたのは、1986年の河盛好蔵さん(中21期・1988年には文化勲章を受章)、2003年の唄孝一さん(中42期)、2004年の新開陽一さん(高3回)についで4人目である。
川淵さんは、「多くの仲間と一緒に活動してきたことが認められてすごくうれしく、光栄としか言いようがない。日本中にもっと子供たちがスポーツをエンジョイできる環境を作るために努力していきたい」と語っている。
(2015.11.7)