高3回(高三会)(1951年卒業)
70年続くクラス会
私達の「一九会」は76年前の一年九組のクラス会で、91歳を超え昨年の出席者は男女4人ずつとなりましたが、今も続いています。戦後間もないその年に学制改革が行われ、男女別学5年制の中学・高女が、男女共学のそれぞれ3年制の中学・高校に改変され、旧制4年に進級のはずだった私達は新制高校1年に横すべりしました。大阪府では同地区の旧制中学・高女の生徒の半数を交換し男女共学の新制高校2校を作りました。堺は事情があって2学期からの発足となり、その時に一年九組が誕生しました。2・3学期7カ月の短い期間でしたが何となく浮き浮きした学校生活を送り懐かしい思い出となっています。2年からはバラバラになりましたが、卒業後何年か経って初めての同期会で顔を合わせたのがきっかけでクラス会が始まり、「一九会」として続くことになりました。以来毎年集まってきました。
男女の幹事が1年交代で世話をしてくれたのと、別れる時にまた会いたいと思う楽しさが長続きの原動力のような気がします。
〔2024年・記=長谷川貞夫〕
米寿の会を開きました/2019年
毎年10月下旬に開催している高三会は、昨年も10月24日(木)にホテル・アゴ―ラリージェンシー堺の見晴らしの良い最上階(26階)で米寿記念の同窓会を開催しました。出席者は男子16名女子20名計36名で年々人数は減っています。例年の如く亡くなられた先生方や同級生方への黙祷から始まり、2時間余りの会食や雑談で和みました。毎回、内科医の山田耕司氏に「健康に関する講話」をお願いしていますが、今回は「ガラパゴスのブービー」と題するご自身の随想を配っての楽しいお話に皆が引き込まれました。
88才の米寿記念ということで、各人に高級な「とろろ昆布」の景品が配られ、記念写真を撮り、皆様の希望で卒寿まで同窓会を催す事を決め別れました。
〔2020年・記=平 圭郎〕
食と雑談で和む/2018年
昨年10月25日にホテル・アゴーラリージェンシー堺にて同窓会を開催しました。出席者は42名で、年々人数は減っております。例回の如く亡くなられた方への黙祷から始まり、二時間余り食と雑談で和みました。医師の山田耕司さんに御自分の健康のこともまじえ、後期高齢者の健康の話をしていただき参考となりました。おたのしみ会の籤引きには話の花が咲きました。いつもながら出席者の四分の一を占めるのは1年9組の方々です。卒業以来70年近く毎年東京からの参加者もあり、クラス会を開いておられます。それには一年生の短い期間に友情と団結の歴史があったとのことです。 最後に校歌を歌い別れました。
私の手元にあります「高三金銭出納帳」は当会の歴史帳です。残り頁が少なくなりました。もう少し続けたいと思っています。
今年は10月に「米寿の会」を開催しますので、御参加をお待ちしております。
〔2019年・記=田中登志子〕
20回目の同窓会を開催/2017年
昨年10月26日(木)高三会は、85歳20回目の同窓会を、ホテル・アゴーラリージェンシー堺にて開催しました。男子19名・女子33名で、その内東京からは3名の出席で思いのほか多数で賑わいました。車いすの方もお二人いました。今回は進行に計画がありませんでしたが、私のかかりつけの医院で目にしました「高齢者の救急について」の冊子を医師の山田耕司様にお願いして取り寄せていただき配りました。現在日本は高齢者社会になっています。私たちは日々の生活に注意して過ごしたいと思います。
歴史ある堺の海を眺めながら食事をし、おしゃべりの時間が過ぎてしまいました。
〔2018年・記=田中登志子〕
2016年例会報告/全員の自己紹介を行う
高三会の昨年度例会は、10月27日正午から、心斎橋近くの割烹「湖月」で開かれました。参加者は、東京からの1名を含めて43名、うち女性は24名、男性は19名でした。大部分の同期生が83歳前後であることを考えますと、なかなかの出席状況と申せましょう。今回は初めての試みとして全員の自己紹介が行なわれましたが、お互いに顔はわかっても名前が出てこないのが正直なところなので、有益なことでした。それぞれ活躍をしておられる様子がうかがえて、うれしく思いました。個人的には、女性の多くが配偶者を亡くしておられるのが印象に残りました。両性の平均寿命を考えると当然のことなのですが。
各人の持ち時間はごく短かったのですが、医師の山田君がとくに発言を求めて、いま話題の抗がん剤オプジーボに関して大きな倫理問題が未解決であることを指摘されました。この夢の新薬は末期がんをも完治させる可能性があるが、きわめて高価で、誰もが恩恵をこうむると医療保険がパンクする一方、保険財政を維持するなら、たとえば高齢者の資格を制限するなどの措置が必要になる。簡単に解決できる問題ではないとのことで、一同粛然となった次第です。
その後福引などで楽しみ、校歌斉唱で3時間の集いが終わりました。終身幹事の田中(大石)登志子さんと、お手伝いくださった数名の世話役の諸氏に深謝。
〔2017年・記=新開陽一〕
「再開」しました
私たち高3回は81歳の同窓会を最後といたしましたが、1年空きますと「再開」の声が上がり、昨年10月29日に心斎橋の「湖月」に集まりました。出席者は男子19名、女子29名で、60数年前の気持ちで話に花が咲き、楽しいひと時を過ごしました。現役で仕事をされている方も何人かいますが、大半は病と共存しながら八十の坂を歩いています。「戦中」「戦後」学制改革もあった時代に教育を受けた私たちですから、絆も深いのでしょう。最後に校歌を歌い再会を約して別れました。
〔2016年・記=田中登志子〕
東京高三回近況/昼食会を楽しむ
東京高三会では、以前は6月の箱根一泊の総会や12月初めの忘年会の他、近隣の名所や博物館などを訪れる会を年に数回行っていました。しかし年々体のほうが言うことを聞かなくなり、出歩くのはやめて足場の良いところで3月と9月に昼食会をするようになりました。現在は総会・忘年会を合わせ年4回の集まりが定例化しています。20人以上だった出席者も一人減り二人減りして今では15人前後になりました。ほとんど固定した顔ぶれですが、飽きもせず「たべる」と「だべる」で約2時間絶え間なくお口の運動をしてから、名残を惜しみつつ次回を約して家路につきます。
八十路も半ばに近い身で損得抜きに何でも話せる昔の仲間が集うのは何物にも代えがたい楽しみの一つです。世話人の体力・気力次第ですがこれからも長く続けられればと願っています。
〔2016年・記=長谷川貞夫〕
2013年同期会報告/今回で終わり
昭和49年以来、回を重ねてきた高三会同窓会は、昨年(平成25年)10月20日に天王寺都ホテルで開催された会で、いったん幕を閉じました。卒業以来、長年にわたり同窓生諸兄姉の懇親の場としての役割を果たしてきましたが、余力のあるうちに幕を引こうという会員の皆様のご意思により、名残は惜しかったのですが今回で終わりに致しました。
出席者は76名の多数に達しました。会は内村俊一君の司会で進行し、濱田肇君の開会の挨拶に続き、鬼籍に入られた百余名の同級生のご冥福を祈って黙祷を捧げました。
引き続き、現役の医師としてご活躍の山田耕司君から「有意義な老後を送るために」と題する講話をいただきました。 老齢者にとって肉体的には癌が大敵であり、癌にならない対策についてのお話がありました。認知症も重大な問題であり、予防十ヶ条を示していただきました。
東京から参加された方々を代表して、鈴木房夫君に乾杯の音頭を取っていただき、開宴しました。各テーブルで始まった懇談は、人が移動するにつれ部屋全体に広がり、あちらこちらで懐かしい思い出話の花が咲いていきました。四井素代子さんの采配で福引が行われ、引き続き田中登志子さんから、三丘同窓会の報告と高三会同窓会の会計報告があり、恒例の校歌斉唱の後、阪口理君の閉会の言葉で無事終了致しました。
〔記=薗村 肇〕
2012年同期会報告/傘寿の集い
高三会は、昨年(平成24年)10月27日(土)天王寺の大阪都ホテルにおいて「傘寿の集い」として、東京からも7名が参加し総勢72名の出席を得て盛大に開催されました。元気印の四井素代子さんの司会で会は始まり、既に天国に召された100名を超える物故者に黙祷を捧げたあと約2時間余り食事と懇談を楽しみました。
齢80歳となり今年の同窓会で一応の区切りをつけることになっています。田中登志子さんを始め幹事の皆さんの献身的なご尽力で今まで回を重ねてきましたが、今後も何らかの形で同期の集いが継続されることを切に願っています。
東京高三会では長谷川君や荒川君始め幹事の皆さんのご尽力で昨年は池袋でのプラネタリウム鑑賞、鉄道博物館、箱根一泊旅行、旧古河庭園、有楽町での忘年会、そして今年1月には今一番の人気スポット・東京スカイツリーに昇り素晴らしい眺望を満喫してきました。
今年一応最後となる予定の高三会は10月20日(日)天王寺都ホテルで催されます。多数の皆さんとの再開を楽しみにしています。
〔記=福田克己〕
2011年同期会報告/今後は毎年開催
高三会は、昨年(平成23年)10月21日都ホテル天王寺において鶴野君の司会で同窓会を開催しました。卒業した昭和26年から数えると60年の歳月が流れ、この間に男性の約3割、女性の約2割が鬼籍に入られました。当日は東京から参加の8名を含め72名が集いました。ご薫陶を受けた先生方もほとんど他界され、ご健在なのは澤田先生と桜井先生だけになり、これまで欠かさずご出席下さった澤田先生も今回は歩行がやや困難とのことでご欠席でしたが、写真を後日お届けしたところ次回はぜひ出席したいとおっしゃっていました。
高三会は有志のお世話でスタートし、一度ホーム持ち回りにしましたが運用が難しく、再び有志がお世話をする方法に戻りました。いずれの方法であれ、同窓会開催に尽力いただいた方々のお陰で60年にわたって高三会が続いてきたのであり、お世話いただいた皆様に心から御礼申し上げます。特に、田中登志子(旧・大石)さんがそれらの世話役をつなぐ縦糸の役目を長年務めて下さいました。お名前を出すのはご本人が嫌がられると思いますが、60年という節目ですのでお名前を上げてお礼を申し述べたいと思います。本当に有り難うございました。
なお、同窓会はこれまで隔年に開催していましたが、毎年開催することが決まり、さっそく今秋開催しますのでぜひご出席下さい。
〔記=薗村 肇〕
2009年同期会報告/喜寿の集い
高三会は、昨年10月31日(土)正午からスイスホテル南海大阪において、福島雅蔵・澤田照夫両先生のご出席をえて男性44名、女性51名、総勢97名が一堂に会し、「喜寿の集い」を開催した。開会に先立って物故者のご冥福を祈って黙祷を捧げたのち、学士院会員・新開陽一さんが開会の挨拶、次いで福島・澤田両先生にご挨拶いただき、東京から駆けつけた荒川高晶さんの音頭で乾杯し懇親会に入った。なお、荒川さんから東京高三会(30名)は頻繁に開催しており、時には一泊旅行もあって皆さんが楽しみにしていて参加者も多いとの報告があった。
当初は出席者最大80名と想定していたが、出席者が100名近くになったため会場を急遽変更。そのため、会場使用時間が2時間に制限され、懇談時間が十分とれずに残念だったが、「2年後に元気でお会いしましょう」という内村俊一さんの挨拶で会を閉じた。
本会は隔年開催なので次回は平成23年秋になるが、その時に我々は79歳となり、日本人男性の平均寿命を超えることになる。そうしたことを考えると、この会をいつまで続けるか、あるいは別な形で開催するか等、考えなければならない時期を迎えているようである。
〔記=阪口 理〕
2007年同期会報告
昨年(2007年)10月7日(日)天王寺都ホテルで、2年ぶりの同期会を開催しました。出席者は澤田照夫先生と男子37名、女子49名でした。東京からも6名が駆けつけて会を盛り上げてくれ、二次会を含めて約4時間を楽しく過ごし、再会を約して散会しました。次回は平成21年秋の予定で「喜寿の会」となりますので、より盛大なものにしたいと思っています。今回ご欠席の方も是非ご参加下さい。
〔記=阪口 理〕
2007年報告/首都圏在住者が集う
首都圏在住同期生は現在50数名で、年次会には毎年20数名が出席、時には大阪から有志が参加され、会食しながら様々な会話が飛び交う楽しい集まりです。また、「年一回は寂しい。有志だけでも2ヶ月に一回ぐらい集まろう」ということで、昨年から名所旧跡を訪ね歩いています。
近辺在住者にご協力いただき、初回の昨年(2007年)1月は江戸東京博物館、3月は柴又帝釈天、5月は総会で箱根一泊、7月は横浜中華街、9月は川越散策、12月は三井記念館で食事会、本年1月は上野の東京科学博物館でロボット見学をしました。高三会の皆さまのご参加をお待ちしております。
〔記=茂見 猛〕
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