高25回(1973年卒業)
古希を寿ぐ25期同窓会


古来稀なり、長寿社会が言われ久しいですが、やはり古希70歳を無事に迎えられることはありがたいと思います。
さて、私たち25期生も古希を迎え、それを寿ぐ同窓会を初めて難波のスイスホテルで開催いたしました。
2024年11月10日・日曜日午後1時から男性44人女性39人合計83人の同期が参集し、会場の受付は大わらわ。さすがに70歳にもなると、学生時代の面影が残っている方は、特に男性陣には少ないように感じられ、クラス番号と名札を探し当てるのにやや時間がかかりました。それでも名札を差し出すと、どこかに面影がよみがえり、それだけでも受付の役割は楽しいものでした。
会場は3年のクラスで着席したので、文系は女性陣が、理系は男性陣が多くなっていました。今回は、同期で時々バンド演奏している小林整君のグループが楽器や音響機材まで持ち込んでくださり、オープニングはさながらライブ会場のようでした。司会進行はいつものように丸山芳美女史がスムーズに行い、バイキング料理を楽しみながら、おしゃべりの輪がどんどん広がって行きました。
食事が一段落したところで本格的なバンド演奏が始まり、当時の懐かしい曲が流れると、誰からともなく口ずさむ声が聞こえてきました。
演奏をリードしてくださった小林君はじめ、青木由起子さん、大楠(藤谷)明子さん、田上博司君、同窓会を盛り上げてくださってありがとうございました。
大いに会話もはずみ楽しい時間は瞬く間に過ぎ、恒例の田上君伴奏の「卒業の歌」を、そして中岡いずみさん伴奏による校歌を合唱して、また2年後の再会を期しました。
皆さん、2年後にはまた元気でお会いしましょうね!!
卒業50周年記念同窓会を開催
2023年3月18日(土)午後1時から始まった≪卒業50周年記念同窓会≫ 会場はいつものホテルアゴーラリージェンシー大阪堺。今回は107名の参加申し込み(当日3名欠席)久しぶりの100名超えとなり、「ゴルフでの100切りは嬉しいですが、同窓会参加者100切りは残念。でも、今回は100名を超しました!」と日根野谷正人代表の喜びの第一声で始まりました。一昨年度の開催予定がコロナのせいで延期、延期となりやっとの開催でした。でも、そのおかげで卒業後50周年記念となりました。
ただ、悲しいことに前回から今回までにも数名の同級生が亡くなったという報告があり、黙祷をしての開式となりました。
座席は、2年生のクラスごと。懐かしい場面がスクリーンに映し出されているなか、楽しく会食が進みました。今回特別ゲストとして落語家笑福亭鶴笑さんをお迎えしてのミニ落語会もあり、新鮮な感じでした。
各テーブルでは修学旅行の話や補修を受けた話、また、ほとんどが現役引退ということで、今、夢中になっていることや体調のことなどの話で盛り上がっていました。白馬でペンション経営を始めたメンバーや、オペラに出演しているメンバー、そして、びっくり!は書道を習い始め、展覧会にも出展した3名の男の子たち!彼らの高校時代のやんちゃぶりから(いえ、今もですが)書道なんて想像できないようなメンバーですが、指導の先生(先生も同級生です。)が上手に褒めながら指導され、素晴らしい作品を書き上げているようで、とても楽しい報告でした。50年経っても同級生みんながそれぞれ元気に過ごしているのだな、自分らしく楽しんでいるのだなと感じる瞬間でした。
今回、埼玉から久しぶりに駆けつけてくれたり、四国や東京など遠方からの参加もありました。ただ、参加メンバーが固定化という感じは否めない状況です。女性の参加がやや少なく、欠席のはがきの近況欄には「親の介護が大変で…」や「孫の世話があって…」等の理由が書かれたものが多数ありました。ぜひ、一日くらいはご家族が介護や孫の子守りを担ってくださり、参加できるようにしてくださればなあと願っています。
同窓会の最後は、「卒業の歌」と校歌を歌ってのお開きとなりました。「卒業の歌」の伴奏をしてくれた田上博司君、校歌の伴奏をしてくれたいいしゃんこと中岡(中島)いずみさん。お二人のピアノ、最高。ありがとう。そして、食事もほとんどできなかった程、開始から閉会まで司会を担当してくれた井戸(丸山)芳美、いつもありがとう!あなたなしでは同窓会の運営は不可能です。
次回2年後、2025年には古希を祝っての同窓会を計画中です。黙祷で始まるのは悲しいです。みなさん、それまでお元気で!!
※当日の写真は下記サイトでご覧いただけます。
MIKUNI25-2023
卒業45周年記念同窓会を開催
昨年11月23日、ホテル・アゴーラリージェンシー堺にて、〝卒業45周年記念同窓会〟を開催しました。91名が集い、心はたちまち17歳! あの日のクラス幹事の感想を届けます。「出席者はほぼ固定、他の人にも会いたかった。会って変わり果てた姿をけなしてやりたかったなあ」(西野秀樹)、「標準語になった東京組。でも話す中身はあの時の思い出。好きだった子も今なら開示!高齢者目前の私たちもいいね」(藤田祥子)、「影のある男子に『あの頃よく遅刻したね』と言うと『家が奈良に引っ越して通学大変やったんや』ああ同窓会の度に新たな事実を知る私は何とイノセントだったんだろう」(西村慶子)、「病気や怪我で参加できなかった人、気がかりです」(森下茂明)、「ベタやけど久しぶりのビンゴ大会盛り上がったね。次は何しようかな」(日根野谷正人)、「久しぶりにみんなで25回生の歌を歌い、気分は18歳!」(源久美子) そうです! 45年前卒業式で歌った25回有志作詞作曲の『卒業の歌』 ♬三国丘に吹く風は 三丘健児の心意気 友の明日を祈りつつ ああ我今まさに旅立たん♬ 今回は作曲者のひとり田上博司君のピアノ伴奏で大合唱! 今なお心に残る名曲です。
最後に、三丘同窓会費納入にご協力いただいた皆様ありがとうございました。次回は2020年11月23日、堺でお待ちしています。
青春一日往復切符
昨年11月、ホテル・アゴーラリージェンシー堺にて「歓暦同窓会」を開催。15歳の春に出会って45年。還暦だ。夏の打ち合わせ。「還暦という言葉は嫌やな」と日根野谷が言った。では当て字を考えよう。井戸が思いついた。「歓暦は?」「それいい」。年を取るのは嫌でもこの長い歳月は素直に喜びたい。案内状を370人に送った。
同窓会前日、森瑛二郎先生と元生徒123人の出席表を作っていると見慣れぬ名前があった。どんな人か。知らない。
それなのに声をかけられた。「久しぶり。2年で同じクラスやったやん」にこにこしている。「ああ~、藤本先生の時」。あの頃もこうして親しく話したではないか。それなのに…。心の中で「ごめん」と言った。君はどこにいても楽しそうにしていたね。修学旅行の船の中、やまなみハイウェイ、日の当たる教室。思い出はどこからか溢れだす。君が微笑むから全部蘇ったのだ。忘却も悪くない。誰かが忘れ、誰かが覚えている。ああ君はそんなことを覚えていてくれたのか。ありがとう。これが同窓会。
青山君のギターに合わせて歌った懐かしい曲。思わぬ人に告白された誰か。楽しくて自由な4時間だった。卒業して長いけれど、こんな素敵な放課後があったのだ。出席者は5割も増えた。新顔がいっぱい。だから盛り上がった。そやからまた来るんやで。
まだ見ぬ友へ
昨年11月23日、卒業39年の集いを7名の恩師(金丸、吉田、岩﨑、森、東、貝谷の先生方)をアゴーラリージェンシー堺にお迎えして開催した。「遠い世界に旅に出ようか」と歌い、マイムマイムやオクラホマミキサーを踊った。80人が恩師を取り囲みひとつの輪 になった。
さて、次は還暦記念の同窓会である。ずっと逢っていない友の顔を見たい。遠く転校していった人にも再会して、長い歳月を元気だったかのひと言で問いたい。秋の日、三国ヶ丘駅の端っこで最後に交わした言葉を覚えている。君は寂しそうな顔をしてありがとうと言った。みんな元気だろうか。確かめたい。ご無沙汰している皆さん、今更なんて思わないで、近くのコンビニへ行くようにためらわず気楽に出かけましょう。すぐに打ち解けます。すぐに仲良くなります。それは同じ学舎で時を過ごしたから。一緒に遊んだから。一緒に笑ったから。そしてやっぱり友達だったから。みんなは君が来るのを待っています。もう一度友達になりませんか。
友達でいようよずっと、いつ友になったかなんてわからないけれど。
あれから16年たって
初めての同窓会は16年前、38歳の時だった。子供は幼く仕事を終えると賑やかな家に帰ってきた。精神と体力を今日・明日に傾けていては昔を懐かしむ暇もない。最初の案内が来た時、それは20年も前のこと、いま再会しても白けないだろうかと心配しながら堺東へ向かったが、心配は無用だった。空白という何もないとされる時が知らぬうちに大きな物を形成していた。その後、5回の同窓会を経て僕らは昔のように再び親しくなってきた。そして初めての参加者が毎回いる。遠慮がちにやってくる彼らは昔よりずっとかわいい。大人しくて暴れない。あちこちで人につつかれ体勢が受身になっている。古くなったためフレッシュに見える新人は次も現れるだろう。現れるべきだ。
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