三丘同窓会

大阪府立狭山池博物館見学ツアー「狭山池をめぐる人と土と水の物語」レポート

 好評の企画委員会主催イベント、3月24日は三丘会館を飛び出して狭山池博物館へ。題して「狭山池博物館見学ツアー」。博物館は狭山池のそばにあり、付近は桜の名所。例年なら早咲きの桜はたぶん満開、館内見学のあとはお花見を…という計画は桜の開花が遅れた上に前日から続く本降りの雨で幻と終わったが、それでも30人が見学ツアーを大いに楽しんだ。



 かつてのさやま遊園跡地にある「さやか公園」に集合したあと、一行は5つのグループに分かれ、各グループに1人ずつガイドがつくというかたちで、まずは狭山池に。
 狭山池の堤防は一周2.85km、天気の良い日はウォーキングや野鳥観察、犬の散歩にと多くの市民でにぎわう。「今の季節は『池干し』が終わったばかりで水が少ないんです」「あそこに見えるのが龍神社。その横に龍神淵という穴があります」などとガイドさんの説明を聞く。堤防上には堤体切り出し場所、東樋出土場所などが示され、博物館の展示と関連づけられている。

 そして狭山池博物館へ。狭山池は古事記にも記述がある古いため池であるが、平成の大改修(1988〜2001年)によりダム化され、工事が完了した2001年に狭山池博物館が開館した。安藤忠雄設計のシンプルで力強い外観は遠くからもよく見え、狭山池公園のシンボル的存在となっている。


 なんといってもインパクト大なのがこれ、堤体(堤防の断面)の展示だ。実際の堤防を切り取って、ポリエチレングリコール溶液に浸して固めたもの。ダイナミックでかっこいい。高さ15.4m。ここに狭山池1400年の歴史が凝縮されているのだ。
 「堤防の一部を抜いて…そこから水がもれることはないのかな」と心配する声もあった(だいじょうぶだと思いますよ)。


 狭山池の改修には奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元、と、その時代を象徴するような人々が関わってきた。その歴史を学ぶ。


 今も取水塔はあるが、これは先代、昭和の取水塔。それがそのまま展示されている。こうして見ると…大きい! とにかくスケールの大きな博物館なのである。


一通り見学が済んだあと、ホールに集まっていつものアカシアトークカフェのように記念撮影。

土木の専門家から案内人に/高27回・河野敬太郎さん


 今回のイベントにあたって三丘同窓会企画委員会と狭山池博物館の橋渡し役となり、自身も当日ガイドを務めたのが高27回の河野敬太郎さん(写真)。
 河野さんは大阪大学工学部で学び、卒業後は大阪府に土木職として入庁、なんと、狭山池の平成の大改修にも携わり、狭山池ダム建設工区長を務めた人なのだ。こんな人がガイドしてくれるとは心強い。
 府庁退職後は仕事と並行しながらこれまでの経験も活かせる同館でのボランティア活動を始め、すでに7年。時にはボランティア研修の講師にもなる。

狭山池博のボランティアは企画展もこなす

 よく知られているように大阪府の行政は2000年代後半から大きく変わってきた。河野さんも激動の時期を府庁で体験したひとりだ。
 文化施設の運営もさまざまな面で変革を迫られ、狭山池博物館も例外ではなかった。発足時は大阪府の管理であったが、2009年に大阪府・大阪狭山市・狭山池まつり実行委員会の三者協働運営となり、市民参加が進んだ。ボランティアの位置付けは、当初は学芸員の「補助」だったが、今は重要な「パートナー」に。ボランティアは何をしたいか自ら考え、動くことを求められるようになった。

 こうして狭山池古文書をよむ会、狭山池歴史ウォークなどが次々に企画・実施されるようになった。驚くのはボランティアが中心となってテーマの設定から取材まで学芸員とともに取り組む「ボランティア企画展」を開催していること。すでに9回を数える。外国人向けのガイドブックについてもボランティア自らが発案し、つくりあげた。一般市民としての目線と経験を活かし、幅広い活動を展開しているのが大きな特徴だ。現在登録メンバーは100人ほど、ガイドも30人くらいいるそうだ。

 同窓からもう一人、今回ガイドとして参加したのは伊藤(石田)智子さん(高24回)。教師として長く勤めたあと、ボランティア活動を始めた。狭山池博物館での活動は「まだ新米」と謙遜するが、これまで経験した他の観光ボランティアに比べて「大変だけど楽しく、とてもやりがいがある」と語る。

 河野さん、伊藤さん、そのほか大勢のボランティアのみなさん、これからも狭山池博物館を盛り上げてくださいね!

(2024.3.29)