三丘同窓会

「三丘新成人の集い」誕生秘話に迫る! 幹事さんに聞きました/高58回

初めての新成人の集い(2008年1月)


 今では恒例となった「三丘新成人の集い」。成人式が終わったら母校に集合!卒業以来の再会に話が弾む、粋な企画である。それを始めたのが高58回だ。何でも卒業から10年の間に同窓会を5回も開催している上、出席率も高いと聞く。どんな工夫があるのだろうか?
 最初の「三丘新成人の集い」を企画した増田(西村)彩さん、山内(角陸)舞さんに話を聞いた。お二人ともお子さんがまだ小さく、コロナ禍の最中でもあり、インタビューはZoomにて行った。

それは1本の電話から
 当時大学生の増田さん。仲間同士の会話から「同窓会やりたいね」と盛り上がった。実現させるにはと考えて、まずは違う仲良しグループの山内さんに電話を入れた。より多くの同窓生を集めたい。山内さんなら、という思いがあった。「一緒に幹事やろう!」
 案の定、山内さんも思いを同じにしてくれた。そうと決めたらすぐさま実行。実家から離れて暮らしている同窓生も、成人式には帰省するはず。このチャンスを逃す手はない。まずは連絡だ。口づてでは仲良しの身内だけになってしまう。そうじゃなくて学年全体に知らせるにはどうすればいいのか? 片っ端から連絡のリレーをつなぎ、体育会系・文化系クラブやクラスの隅々まで届けるための15人の幹事チームを結成。高校在籍当時はさほど交流のなかった同窓生たちが「新成人の集い」実現のために一つになれた。当時はメールのやりとりが主流だったので毎日受信箱に同窓生からのメールがあふれたという。

 どうせなら学校で再会したい。その想いをくんで協力してくださったのは卒業生でもある石田孝文先生(高19回)だった。学校での開催へ背中を押してくれ、使用許可を取る段取りをしてくださった。
 当日は堺市が午前から、和泉市が午後からの式典で、和泉市の式典が終わってから到着できるように開始時間を設定した。
 スーツや振袖姿の晴れやかな同窓生が次々と集まってくる。総勢320名のほぼ全員から出欠の返事が届き、280名余りが参加した。「もう一度、高校に、みんなで!」夢がかなった瞬間だった。

次の幹事はその場で決める!
 その後ほぼ2年ごとに同窓会を開催できている秘けつは何なのか。それは、同窓会の最後を締めるときに幹事が次回の幹事を指名するというお約束だ。出席者に次回の幹事として認識され、無言のプレッシャーもかかる(?)。
 また、日程をほぼ毎回12月30日に決めているというのも妙案である。帰省する方も予定が立てやすい。
 かつてはメールやミクシィ、今はLINEやフェイスブック、インスタなどの便利なツールが活躍してくれる。残念ながら今は感染症まん延のため同窓会開催は難しいが、そういったツールがつながりを支えている。


2017年末、30歳の年に集まった


みんなで幹事をまわす
 実はこのインタビューが実現するまでに少々時間がかかった。最初の幹事さんになかなかたどり着けなかったのである。いつもこの人は幹事を務めている、というような中心人物に遭遇できないでいた。まずは「三丘新成人の集い」発祥のお話が伺いたかったので、誰が?と尋ねていったところ、それこそリレー形式で増田さん、山内さんにたどりつくことができた。多くの人が代わる代わる同窓会幹事に関わっていたため、逆に最初は誰だったっけ?というように幹事だらけだったわけである。いいかえれば、この学年は幹事のできるフットワークの軽さを備え持った人が多いのかも知れない。それは同窓への愛着が深く、同窓会開催のために労を惜しまない人たちが多く存在するともいえる。在学中からのまとまりの良さが感じられた。

 お二人ともビデオ通話中もお子さん方が画面を横切り、にぎやかな様子が見受けられた。現在幹事役は難しそうな雰囲気だが、最初に「新成人の集い」を企画した功績は大きいのではないだろうか。卒業後間を置かず成人式までに連絡手段を確保し、最初に日程決定から準備に入る。今後の学年の同窓会モデルを創り出したといっていいだろう。
 そして、誰か特定の人物がいないと実現しない同窓会ではなく、誰でもが同窓会幹事ができる。パスワークのうまさが継続の秘けつと感じた。
   
〔聞き手= 高38回・石原喜代美、高39回・東良庄吾〕