三丘同窓会

ステンレス製になりました/「駐蹕之趾」案内板

母校正門そばにある「駐蹕之趾(ちゅうひつのあと)」の案内板が新しくなった。(写真上)

 元の案内板は木製(写真下)で劣化が進んでいたが、昨年12月に設置された新しい案内板は耐久性に優れたステンレス製。かすれて読みにくくなっていた文字も新しい案内板でははっきりと読めるようになった。

 説明文は以下の通り。

 昭和七年十一月本校が陸軍
特別大演習の「御講評場」となり
昭和天皇が行幸された。
 この碑は行幸を記念して
翌年に建立されたものである。
文章は陸軍大将真崎甚三郎の
揮毫にかかり、
裏面に長坂五郎校長の
由来記が彫られている。

 「陸軍特別大演習」は戦前、天皇統監のもとに毎年1回行われていた、演習の中でも最大規模のもの。2個以上の師団を対抗させ、演習が終わった後は参謀総長が講評を行なった。昭和7年11月11日〜13日の演習ではこの講評の場として同年2月に竣工したばかりの母校が選ばれたが、その理由は「三丘百年」によると「本校が新築の上、演習最後の決戦場である大和川畔に近く、参加将校四千人余を収容できる規模を誇っていたことによろう」となっている。以後、11月13日は行幸記念日とされ、昭和8年11月13日には「駐蹕之趾」建立、除幕式を挙行。旧三丘会館(現三丘資料館=昭和9年竣工)の建設もこれを機に具体化、昭和9年からは記念式典後に1万メートル長距離走が開催されるなど、「駐蹕」は母校の歴史において大きな出来事であったことがうかがえる。なお、長坂五郎校長は大正13年5月〜昭和9年6月に在任した第5代校長。

※「駐蹕」とは、天子が行幸の途中で、一時乗り物を停めること、一時、その土地に駐留することを指す。日本各地に明治以降の記念碑が残っている。

(2022.1.26)