三丘同窓会

「拝啓 われらが先生!」第4回・景山久雄先生/子供の頃からそばに音楽が
 景山久雄先生(高15回)は1970年から19年間、母校の音楽科を担当された。
 先生に大きな影響を与えたのが父親の景山朋(とも)さんだ。

父・朋さんの影響
 朋さんの出生地は鳥取・境港。若い頃から蓄音機など電気機器に関心があり、地元では「電気朋」と呼ばれていた。あるとき、米子のお茶商・鷲見(すみ)兄弟が境港に立ち寄った際、景山家のレコードの音を聞きつけ、西洋の新しいレコードを持って訪ねて来た。鷲見家は敬虔なキリスト教一家で家族で賛美歌を歌ったり、バイオリンを弾いたりしていた。朋さんも一緒にレコード鑑賞やバイオリン演奏を楽しんだ。鷲見家の三郎、四郎、五郎の三兄弟は音楽を志し順次上京。後にNHK交響楽団でバイオリン奏者に、またピアニストとして活躍することになる。

 電気の道を選んだ朋さんは米子の電話局に勤めた後、戦時中に来堺。大阪金属(現・ダイキン)で大砲の照準器等の研究をしていた。戦後はピックアップ、スピーカの研究で友人と会社を設立。家で製品の性能をチェックするためいろいろなレコードをかけるので、ベートーベンのバイオリン協奏曲、後期の弦楽四重奏曲等も先生は横で聞いていたそうだ。「子供のころから枕元で素晴らしい西洋音楽や宗教音楽を聴けたのがほんまに幸せだった」と先生はおっしゃる。
 
ブリーゲン氏と過ごした大学時代
 八千代通に居を構えた朋さんは6人の子供たちをすべて三国丘高校(長兄は堺中)に進学させた。景山先生が最も影響を受けたのは2番目の兄の担任であり、先生自身も1年時に化学を習った金井次郎先生。理科が大好きで、父親も自身もきっとその道に進学と思っていたが、高2の時に誘われて音楽部の指揮をするようになってから、次第に音楽への熱い思いが湧いてくる。先生は高15回、妻の明子さんは音楽部の部員で高16回。大阪学芸大学めざして一浪中の先生は、未来の奥様と一緒に聴音の学習を頑張ったそうだ。

 大学での専攻は作曲だったが、副科としてチェロを選択。最も身を入れたのは合唱とオーケストラの授業で、教官のロベルト・ブリーゲン氏との出会いがその後の先生の音楽観、人生観に大きくかかわってくる。カトリック堺教会の神父でもあった氏からはヨーロッパの教会音楽やルネサンス期の音楽の要諦を熱心に習われたそうだ。卒論はブラームスの弦楽四重奏曲の研究だった。

教師として、チェロ奏者として
 大学卒業後、いったん堺市内の公立中学校に就職。2年後、母校に着任した。中学校の勤務とは違い、あまり生徒を管理する必要はなく、空き時間にはチェロを弾き、ピアノを弾く日々だった。
 後に読売日本交響楽団のバイオリン奏者となった33回生・杉本(現・平井)真弓さん、そして32回生・掘井佳世さんとピアノトリオを組んで音楽祭で演奏する一方、31回生の西尾(現・佐野)和子さんから「先生、チェロばっかり弾いていないで、たまには音楽部の指導に来てください」と依頼され、音楽部で合唱の指導にかかわっていく。
 32回生が2年生だった1978年、ブリーゲン氏に習ったモンテヴェルディ作曲「アリアンナの嘆き」の一部分を指導、校内の音楽祭で発表。翌年、33回生の川原(現・片岡)宏子さんが部長の時には大阪府連合音楽会で全曲を、無伴奏・原語のイタリア語で15分間にわたり歌い上げた。曲が終わるとともに、会場からは感動のため息が聞こえるほどの好演だった。
 この歌声を聞いた2回生の斉藤實さんたちから、当時、小泉ひろし氏が指揮をしていた「大阪コーラルソサエティ」に団員兼副指揮者として招かれる。景山先生が34歳のときのことだ。
 同合唱団の団員であった敷島博子さんが小泉ひろし氏を指揮者として大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)を立ち上げると、景山先生もチェロ奏者として加わる。旗揚げ公演は福島県の会津若松。ベートーベンの「第九」を演奏した。

「あんさんぶるともだち」の誕生
 大阪シンフォニカーがプロ化するのを機に先生は退団。同時期、母校から堺東高校に転勤、ここでも19年間生徒たちを指導した。また、転勤と同時に母校で最後に教えた40回の森本淳・尚美(旧姓・木下)さん夫妻や41回生を中心に結成された混声合唱団「あんさんぶるともだち」を指導することになる。
 ミサ曲など古典楽曲を中心に、幅広く現代の歌曲もカバーしている「あんさんぶるともだち」。コロナ禍で練習は中断していたが、3月6日から活動を再開。先生自身は、元大阪交響楽団の首席奏者・野村朋亨(ともゆき)氏のチェロのレッスンに今も元気に通っておられる。
 インタビュー後、先生のお宅の2階にある「宝ものの部屋」を見せてもらった。部屋中にNゲージの鉄道模型の電車や新幹線が走り回っている。複雑に線路が交差し合い、まるで交響曲の譜面を見る思いである。このジオラマに掛ける先生のエネルギーに、父親の朋さん譲りの機械好きを発見した。


〔聞き手=高19回・小林昇一、高34回・小池稔〕

景山 久雄(かげやま ひさお) 1944年生まれ。大阪学芸大学(現・大阪教育大学)特設音楽課程作曲科卒。1970〜89年、母校音楽科教諭と音楽(コーラス)部顧問を務める。1男2女の父。
(2021.6.3)