三丘同窓会

父・小野雄三元校長の遺稿「不死身の二十人」他を電子出版/高19回・小野進(園田豪)さん

 園田豪のペンネームで精力的に作家活動を続けている小野進さん(高19回)が、今年の1月に自らの父親であり三国丘高校の校長を務めた小野雄三氏(在職=1962年4月~72年3月)の戦記と回顧録を電子書籍で出版した。この電子書籍は「不死身の二十人」「戎衣の研究所長」「海を渡る槍騎兵」の三部作と進さん自身が書いた回想記で構成されている。

 小野校長を知る人には、りりしい眉にひげをたくわえ、威厳のあるまさに昭和の学校長の印象が強く残っているのではないだろうか。特に60年代後半は団塊の世代を中心に大人数の生徒が在籍した頃で、それとともに多くの個性豊かな教職員が在職した時代であり、学校経営にもかなり苦労されたのではないだろうか。その重責を果たす資質をお持ちであったことはこの三部作を読むとよく理解できる。
 この書籍は単に個人の回顧録ではなく、二・二六事件、インドシナ半島の前線、スマトラの進駐地経営などを身近に経験した青年将校が残した貴重な激動の昭和史と言える。

 東京帝国大学大学院で植物学の研究者であった小野雄三氏に時代が求めたのは有能な軍人への道であった。厳しい教練を受け、青年将校として中国南部、インドシナ半島、インドネシアと転戦し戦果を上げることになる。ヒルが生息する酷暑のジャングルを抜け、蚊の大群に悩まされる劣悪な環境で野営をし、至近の敵軍に直面しながらも部下に1人も死者が出なかった統率力はその後のすべての責任ある職務にも生かされたようだ。

 小野雄三氏は日本生物教育会副会長や全国進路研究会顧問など数多くの役職を務め、勲四等瑞宝章を受章するなど成功者と見られがちだが、その人生は決して順風満帆なものではなかったようだ。戦地から帰国後も、赤道直下で罹患したマラリアの激しい後遺症に悩まされ、一時は教職を断念せざるを得ない時期もあった。さらに、当時の朝鮮の専門学校教授を務めていた時期に終戦。病人、妊産婦、幼児など50人を引率して引き揚げる重責も果たしたが、生まれたばかりの長男と妻と共に収入のない1年間を過ごす時期もあったそうだ。

 小野雄三氏は1978(昭和53)年5月9日、服用していた持病の薬の副作用のために心臓を患い、その発作で外出中に死去された。


書名 「不死身の二十人」「戎衣の研究所長」「海を渡る槍騎兵」
発行所 株式会社麁鹿火
同書はAmazon で購入、ダウンロードできる。
電子書籍の利点を生かして鮮明な資料写真の他、セピア色の微笑ましい家族写真も紹介されている。


小野進(園田豪)さん
1948年、小野雄三の次男として静岡県に生まれる。
東京大学大学院理学系研究科修士課程終了、1973年に石油開発会社に入社。
ソ連サハリン、中東オマーン、インドネシア、オーストラリアを始めとした石油開発プロジェクトに参加。
2003年には石油開発会社を早期退職し、作家「園田豪」としての執筆活動を本格化。
2017年には電子出版を主業務とする(株)麁鹿火を設立。
「太安万侶の暗号シリーズ」「人麻呂の暗号と偽史『日本書紀』~萬葉集といろは歌に隠された呪いの言葉~」の他、海外アクション小説、戦国小説、オーストラリアエッセー、企業小説などの作品を発表している。

(2021.2.26)