三丘同窓会

第3回アカシアトークカフェ開催/金田晉さん(高9回)の「旧暦の美学」


 三丘アカシアトークカフェ第3回「旧暦の美学」が9月21日、三丘会館で開催され、約70名が参加した。
 講師は広島大学名誉教授の金田晉(かなた・すすむ)さん(高9回)。母校を卒業後、東大文学部に進んだ。専門は美学だが、音楽を聴くように絵を聴けないか、小説を読むように絵を読めないか、「時間芸術」として絵画を受容できないかという探求から暦への興味が生まれ、30年にわたって研究してきたという。太陽暦と旧暦(明治5年まで使われていた暦。太陰太陽暦の一つ)を併用する「バイカレンダー」の提唱者でもある。

酒井抱一「夏秋草図屏風」を読み解く


 最初に例としてあげたのが酒井抱一の「夏秋草図屏風」。11代将軍家斉の父、一橋治済に贈るものとして光琳の風神雷神図の裏に描かれたものだが、右隻には夏草、左隻には秋草が描かれている。



 そこで、その表を見ると・・・右隻には風神、左隻には雷神。わかりやすく表と裏を合成してみると(上の写真)、右隻には風神(表)の風を受けて揺れるクズの葉やつる、フジバカマ、舞い散る葉など(裏)が、左隻には雷神(表)にもたらされた激しい雨の後らしく、水の流れがあり、雨を受けてみずみずしいススキやユリ、オミナエシなど(裏)が描かれていることになる。そして表の風神雷神図が金地(昼)なのに対して裏の夏秋草図屏風は銀地(夜)。
 また、豊作を約束する風神雷神の図は神の世界であり、季節もないが、夏秋草図に描かれた地上は人の世界であり、そこには季節の移り変わり、つまり暦がある。鮮やかな対比となっている。
 「なぜこの絵が将軍の父に贈られたか。この絵が描かれた江戸時代は暦文化の第二の隆盛期でした。第一の隆盛期は中国から直輸入した暦を使っていたが、この頃は独自の天文的データを元に国産の暦が作られた。寛政暦に改暦した将軍が家斉なのです」と金田さん。
 単独でも名画として名高い夏秋草図屏風だが、このように読み解くことができたとは。興味深い解説にみなさん、真剣な表情で聞き入っていた。

暦を知ればわかってくることがある
 その後に紹介された絵画は灰谷正夫作「柿」(一番上の写真および下の写真参照)。
「時代は1944年。戦時中です。時間を推定することもできる。この月のかたちは下弦の月で、夜の十時半すぎに出てきます。その時間になって友も帰って、夫婦(柿にたとえられた)がやっと二人になれたというのでしょう」
 炎のまわりに色鮮やかな蛾が舞う速水御舟の「炎舞」では「この作品で重要なのは背景の黒。これは新月の闇の暗さを知っている人にしかつくれない」と、暦という観点から絵画を読み解いていく。



 また「本能寺の変はなぜ成功したか。新月の夜で真っ暗だったのです」、赤穂浪士の討ち入りについては「あの年の12月14日はほとんど満月だった。朝の4時頃には旅人などが動き出す。ところが5時頃には月が沈む。1時間ほどは真っ暗になる。この『1時間の闇』をねらった」と、思わず「へー!」と言いたくなるエピソードも。

 「日の出・日の入り、月の出・月の入りをちゃんと見ていくと、わかってくることがある。最近はインターネットのおかげで新しい発見も出てきてます」ということだ。
 途中、休憩をはさみ、お茶とお菓子をいただきながらの気軽なトークカフェ。美学というととっつきにくい印象があるが、具体例に即した話が中心で「難しかったけどおもしろかった」などの感想が聞かれた。

 最後はみんなで、金田さんを囲んで記念撮影。
 ちなみに金田さん、今回50年ぶりに母校に足を踏み入れ、あまりの変わりように驚いたそうだ。



※当日の詳しい講演内容についてはこちらをどうぞ。

(2019.10.10)