三丘同窓会

考古学の大御所・森 浩一氏(中47期)逝去 
 去る8月6日、母校が世に送り出した考古学者・森 浩一氏(中47期)が逝去されました。享年85歳。

 同氏は、太平洋戦争が始まった昭和16年に旧制・堺中学校入學、戦時下の堺中に学んで昭和20年卒業。太平洋戦争末期のこの年、同氏ら47期生は繰り上げ卒業となり、1年先輩の堺中46期生と一緒に母校を卒業された。
 その後、同志社大学英文学科をへて同大学院修士課程(文化史学専攻)を修了して泉大津高校教諭に就き、関西大学講師、同志社大学講師をへて1972年同志社大学教授。1999年同志社大学を定年退職して名誉教授。2012年第22回南方熊楠賞を受賞。
 同氏が考古学に興味を抱いたのは堺中卒業まもない1945年、和泉市にある和泉黄金塚古墳を見に行き、戦時中に掘られた多数の塹壕と周辺に散らばる鉄製の剣や玉を見つけ、末永雅雄博士を訪ねたことから始まったという。
 宮内庁が陵墓に指定した天皇陵等に対して疑問を提起し、それまで大陸渡来とされていた三角縁神獣鏡の国産説を提唱するなど、通説や権威におもねることのない率直な言動で「反骨・気骨」の人として知られるが、市民には分かりやすく、ダジャレを交えてソフトに語りかけ、「考古学ブーム」の火付け役ともなった。
 また、作家の松本清張や司馬遼太郎と親しく、松本清張の歴史小説の影のアドバイザー役を務め、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズでは何回か作者に同行したとのことである。
 なお、三角縁神獣鏡の国産説を科学的に実証したのが堺中の後輩・久野雄一郎氏(中48期/元三宝伸銅社長)であることを付記しておきたい。

※画像は2013年8月10日付朝日新聞から  

(2013.8.13)