三丘同窓会

高6回(1954年卒業)

卒後60年 数えて傘寿の同窓会

 昨年10 月18日「ホテル第一堺」で6回生の同窓会を持ちました。80名近くが集まって、島保範さんの開会のことばに始まり、東京三丘会の新谷功会長による乾杯、池田幾三さんの司会で、卒後60年の積もる話に花が咲きました。
 全体への呼びかけはこれで卒業と案内しましたので、無理をして出てくれた人もありましたが、出席者の倍以上の欠席届があり、その理由のほとんどが「遠出は自信がない」「入院中」「体調不良」のいずれかでした。ご逝去の通知も十余通、だんだん淋しくなりますが、近くの6回生たちが集ってお互い元気づけていきたいと思います。
当日は堺の名菓・小嶋の芥子餅や阪神タイガースの応援グッズが当たる抽選会、また藤田(旧姓高井)治子さんのピアノ伴奏で「校歌」「応援歌」を、西田(旧姓池田)敬子さんのリードで「花は咲く」を歌うなど、和やかなうちに予定時間が過ぎ、大盛会の同窓会でした。
 
〔2015年・記=豊原昭子〕

高6回〔村上ホーム同窓会〕近況


 高6回生で1年生の時に故・村上久三郎先生が担任だった私たちのクラスでは、同窓会を毎年開催するほか、村上杯のゴルフ会を年2回開催するなど、今も団結力あるクラスです。
 昨年は桜花満開の4月12日(日)、三国ヶ丘の「魚太郎」にて「村上ホーム同窓会」を盛大に開催しました。
 出席者は毎回5割を超えますが、今回も東は千葉、西は福岡から駆けつけるなど43名中の22名が出席、村上先生を偲びながら和気藹々のひとときを過ごしました。出席者全員から近況を報告してもらいましたが、半分以上は夫婦関係と健康の問題で、大いに談笑しました。同期の速水君が前社長であることからいつも「魚太郎」にお世話になっていますが、今回は「餅つき」のサービスがあり、隣の会場から飛び入りの手品があって、ハプニング連続の同窓会でした。
 終了後は会場横のカラオケルームに移動して美声を競い合いました。ここでは、文字通り全員が高校一年生に戻った気分となって笑いが絶えませんでした。
 本年も同時期・同場所で再会することを約して散会しました。
〔2010年・記=河盛龍三・畑部和男・ 佐藤佐江子・津田和子〕

10回目の同期会、65名が集う

 2008年11月16日(日)、リーガロイヤルホテル堺に福島雅蔵先生をお迎えして2年ぶり、通算10回目の同窓会を開催し、古稀を過ぎた65名が集いました。
 正午開場、先ず記念写真を荻田倫明君が撮影。石川加代子さん、栗山登君の司会により開会、まず物故者56名に黙祷を捧げ、幹事代表の私が開会挨拶と事前アンケート「私の趣味、健康法、メタボ対策法」の結果を報告した後、福島先生の祝辞をいただきましたが、先生の元気なお声に出席者一同大いに刺激を受けました。
 次いで竹中一雄君の発声で乾杯して開宴。しばし歓談の後、東京三丘会会長の新谷功君から東京三丘会近況話、バンクーバから出席したクロウストン・タカ(旧・大久保多哥)さんの興味深い海外居住話、世界マスターズ柔道メダリスト・小川栄一郎君の元気生活話、放送作家として活躍中の池田幾三君の軽妙な話術に聞き惚れて一段落。アトラクションでは西田敬子さんの舞踏演技に大拍手、希望者が即席指導を受けて舞台で躍るなど、時間はまたたく間に過ぎ、最後は全員起立して末田充子さんの指揮で校歌を斉唱、栗山登君の中締め挨拶でひとまず閉会。
 その後希望者はホテル26階のリーガトップで二次会、さらにカラオケルームで三次会と夜更けまで余韻を楽しみ尽くしました。
 次回は、我々が喜寿を迎える4年後に開催することとし、幹事役は浜寺中学出身者有志にお願いすることになりました。
 なお、本同窓会とは別に、会員登録制の懇親会「三六(サブロク)会」があって、夏・冬の懇話会や年数回のゴルフ会等を楽しんでおり、同期生の参加を歓迎します。
〔2009年・記=中井克昌〕


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