三丘同窓会

三国丘高校天文部OB/OG会が発足

 2022年6月11日(土)18時より、ホテルアゴーラリージェンシー大阪堺「春慶」にて、第1回三国丘高校天文部OB/OG会が開催された。

 母校天文部は70年以上の歴史を持ち、二度にわたって宇宙飛行士として活躍した土井隆雄さん(高25回)をはじめとする人材を輩出してきた。しかしこれまでOBOG会はなかった。
 会を立ち上げようとの機運が高まったのが2020年6月。高31回生、高32回生が中心となった。当初、土井隆雄さんとの連絡に苦心したとのこと。ご家族を介してようやく連絡がつき、発起人の快諾を受けたのが2021年1月30日。メールが届いたこの日は忘れられない日となったそうだ。

発起人に土井隆雄さんら

 賛同を得て、会の発起人には、土井隆雄さん(宇宙飛行士・京都大学特定教授)のほか、西田信一郎さん(高26回・2010年小惑星探査機「はやぶさ」回収班班長・鳥取大学特任教授)、山本真行さん(高41回・インフラサウンドの研究で知られる高知工科大学教授。「はやぶさ」回収班にも参加)ら、宇宙やロケット開発などの分野で活躍している同窓生が名を連ねる。
 こうして、「広く世代を超えた卒業生同士の親睦と有益な情報交換の場」としてのOBOG会の発足に向けての活動が本格化した。
 その後は、元天文部員の把握に努め、三丘会報での告知、SNSを通じての連絡網の整備、メールアドレスのない人へは郵送での連絡と、音信不通となっていた部員との新しいネットワークを構築していった。メーリングリストには、会の発足への賛同と共に近況が寄せられ、また、母校在学時の話に花が咲いたとのこと。
 そして、第1回天文部OB/OG会の開催を、母校文化祭の開催に合わせて、2022年6月11日と決めた。
 しかし、開催に至る過程は決して順風満帆ではなかった。2022年に入ってからは、コロナウイルスオミクロン株が猛威を振るったためである。それでも開催できると信じ準備を怠らなかった。事前のリモート会議は8回に及び、更には、まん延防止重点措置の解除も追い風となり、今回の開催に至った。
 天文部のOB、OGと現役部員をあわせた総数は280名におよぶ。 今回の会合には、高19回から高74回までの幅広い年代の43名が参加した。

現役生と交流も

 開催前の時間を利用して、母校天文部現役生との交流会が行われた。多方面で活躍中の先輩の話や、宇宙に関わる仕事を続けられている方の貴重な体験談に目を輝かせる様子が印象的であった。

 会は高梨夫佐さん(高35回)の司会で始まり、最初にOBOGおよび歴代顧問の物故者への黙とうが捧げられた。続いて、発起人を代表して土井隆雄さんがあいさつし、高校2年生の夏の体験からつながってゆく宇宙に対しての熱い想いを語った=下に掲載。

ミラクルサマー(奇跡の夏) 高25回・土井隆雄



 1971年(高校2年生)の夏、火星が地球に大接近しました。私は、当時の天文部が持っていた西村製作所の20㎝反射望遠鏡を使って20枚近いスケッチ=画像はその一部=をとりました。それ以降、もっと大きな望遠鏡で火星を観ましたが、この時ほど良く観えた記憶がありません。私はこの1971年の夏のことを「ミラクルサマー(奇跡の夏)」と呼んでいます。なぜなら火星の観測をしたこの高校2年生の夏に「宇宙を一生の仕事にしよう」と決めたからです。私の人生にとって非常に大切な時であったと感じています。

 1983年、日本初の宇宙飛行士の募集が行われ、4回のセレクションを経て、1985年に私が毛利衛さん、向井千秋さんと共に選ばれました。しかし、1986年スペースシャトルチャレンジャーの事故があり、日本の有人宇宙活動に大きな影響を与えました。そのため1988年のフライトがずっと遅れてしまいました。結果的には4年間延びて、1992年に毛利衛さんによる日本初の宇宙実験ミッションが行われました。それ以降、日本人宇宙飛行士よる宇宙飛行は順調に続き、2008年に日本実験棟が宇宙ステーションに取付けられました。宇宙ステーション時代が日本にも到来しました。

 宇宙ステーション後の有人宇宙活動を見据えて、日本はアメリカによる月にもう一度人を送る「アルテミスミッション」に昨年から参加することにしました。今回募集している宇宙飛行士は月に行けるチャンスがあるということです。今回の募集は前回から13年経っていますが、今後はJAXAも定期的に5年に1度くらいは募集してゆくのではないかと思います。若い皆さんは頑張って、宇宙飛行士の募集に応募して、まずは月に、そして2030年代には火星に行って欲しいと思います。

 現在、私は京都大学で教鞭をとっています。私が経験してきた有人宇宙活動を学問にしてやろうと思い、それを「有人宇宙学」と名付けました。人間が宇宙に行くということは人類にとってどういう意味があるのか、どうしたら地球から宇宙に広がる人間社会を作ってゆけるのかを研究しています。最近になりそのひとつの技術的な手段として、宇宙で木を使う研究を始めました。

 500万年前、ある霊長類の祖先が森から出てサバンナに降り、二足歩行を獲得し、火や道具使うことを覚えて世界に広がり人類になりました。その当時森に残った祖先はゴリラやチンパンジーになって今も存在しています。この500万年前に進化の分かれ目があったという訳です。今ちょうど、私たちは地球に残るか、宇宙に行くかの境目にいます。森からサバンナに降りたのは環境の変化、そして地球から宇宙に行くのも環境の変化です。私たちは今、新しい進化の始まりにいると考えています。

 500万年以上の昔から、私たちの祖先は森で暮らしてきました。森は私たちの進化の中で大切な役割を果たしています。宇宙に行ったとしても、私は、木に囲まれた生活をすることは絶対必要なことだと感じています。そのため木を宇宙で使う研究をしています。その第一弾として、木造人工衛星を京大の学生と研究者の皆さんと開発しています。2023年打ち上げを狙って頑張っています。

 高校卒業後50年間経ちますが、生命の原動力は、新しいことに挑戦してゆく心だと思います。夢を持っている限り自分のゆく道は開けていきます。若い皆さん頑張ってください。


文化祭ではプラネタリウムが恒例

軽量化されたプラネタリウムドーム(左)と改良型プラネタリウム。いずれも今年度文化祭にて撮影。

 天文部員に同行した藤井光正校長は「生徒が一生懸命質問をしている様子がほほえましく、誇らしく思いました。天文部の皆様の繋がりの深さ、今の生徒を思っていただける思いの深さを感じました。今日が彼ら彼女らにとってのミラクルサマーになればいいな、ここで何かを見つけて自分の進んでゆく道を選んでくれたらいいな」とあいさつされた。

 また、引率の現天文部顧問の吉田憲司教諭は、翌日に控えた文化際の取り組みを披露された。「学生たちが試行錯誤してプラネタリウムを改良しています。梅雨の時期だと段ボールではふにゃふにゃになるので、紙や布を使って軽量化して作成しています。光源の部分も新しく開発して、今年からは天の川も見られるようにしました。表現の仕方もすごく面白くて、私も感動しました。こうして少しずつ進化して、みなさんの活動が色々な形でつながっていっているのだなと共感しました」

 天文部のプラネタリウムは約40年前の文化祭の企画として登場した記録がある。その後は恒例となり、年々改良され今の形に至っている。交流会では、40年前の文化祭の写真を見ながら、現役生とのプラネタリウム談議が盛り上がる場面があった。今年もコロナ禍のため母校文化祭は非公開であったが、現役生との絆はつながっているというエピソードであった。


参加者の名前が書き込まれた扇

 歴代顧問の先生方の中から、安達忠英先生、太田貴志先生(高31回)があいさつされた。乾杯の発声は、天川一郎さん(高19回)。その後、各学年の近況報告など、終始和やかに会が進み、あっという間の2時間であった。
 「天文部は、以前は『天文気象部』だった」「合宿で観た天の川に感動した」「天文部に入りたくて母校を受験した」といった声、またプラネタリウム制作秘話など、語り尽くせぬ盛りだくさんな内容であった。

 最後は、西田信一郎さんの一本締めで閉会した。

 第1回三国丘高校天文部OB/OG会の開催をもって、三国丘高校天文部OB/OG会は発足となった。 来年度、第2回三国丘高校天文部OB/OG会を開催する予定である。

  
(2022.7.11)