三丘同窓会

アスベスト国賠訴訟の資料館開設/高19回・梶本逸雄さん

 4月20日、泉南市信達牧野に泉南アスベスト国家賠償請求訴訟の資料館「アトリエ泉南石綿の館」が開館した。開館式には泉南・阪南両市長が参加した(写真手前右が水野謙二阪南市長、左が竹中勇人泉南市長)。

 泉南アスベスト国家賠償請求訴訟は、泉南地域(現在の泉南市や阪南市など)のアスベスト疾患に苦しむ人々が2006年に国を相手取って起こしたもので、2014年、最高裁は国の責任を認める原告勝訴の判決を出した。アスベスト被害について国の責任を認めた初めての最高裁判決だった。
 資料館ができたのは、かつて石綿の危険を訴え続けた医師・梶本政治さん(1913年〜1994年)の医院があった場所。政治さんの長男・梶本逸雄さん(高19回)の尽力で開設にこぎつけた。

警鐘を鳴らし続けた父の思い受け継いで
 
泉南地域には、戦前からアスベスト紡織工場など石綿関連の事業所が密集、「石綿村」と称された。
 石綿による健康被害について、国は早くから知っていたが工場の従業員らに知らせず、有効な防止策もとらず放置、地域ぐるみの深刻なアスベスト被害となっていた。
 2005年、尼崎のクボタの工場周辺住民にアスベスト疾患が発生していると報道されたのを機に泉南地域でも問題視される。被害住民たちは2006年に国を相手に集団訴訟を大阪地裁に起こした。以後8年におよぶ闘いはドキュメンタリー映画「ニッポン国VS泉南石綿村」(原一男監督。2017年)にもなった。
 政治さん(写真右上)は早くから石綿の危険を訴えるガリ版のビラを配り歩いた。変わり者と見られ、工場経営者と衝突しても「働く者の味方」を貫いた。事業者には厳しく、住民や労働者にはやさしく丁寧な対応だったという。幼いころ、そのガリ版刷りを手伝った逸雄さんは2008年に結成された「大阪泉南地域のアスベスト国家賠償訴訟を勝たせる会」の代表委員の1人となり、亡き父の思いを受け継ぎ、原告団の支援に力を注いだ。

 完成した資料館には政治さんの聴診器や顕微鏡などの遺品とともに住民運動や訴訟の記録などが展示され、現在梶本さんが共同代表・事務局次長を務める市民団体「泉南アスベストの会」の活動拠点にもなる。見学の申込は梶本さんまで。090-7968-0395


アトリエ内の資料をまえに、梶本さん
 
(2019.4.21)