三丘同窓会

2018年総会ゲスト講演
唐池恒二さん(高24回)「夢みる力が『気』をつくる」〔抄録〕


 

 私は一浪して大学に進み、1977年、大学を出ると同時に国鉄に入社しました。それから10年間、国鉄改革の真っただ中に身を置いた。その最終局面、いよいよ国鉄が6つの地域に分かれるとき、私は九州で人事課長をしていた。大阪で三国丘高校出身の私はおそらく「西日本」から声がかかるだろうと思っていたが同期で名古屋出身の人が西日本に入り、私は押し出されるように「九州に残れ」と言われた。以来31年、西日本を恨んでいるのであります(笑)。

 ななつ星ですが、最初の頃よりは倍率も下がりましたが、今でも10倍くらい。「5回も申し込んでいるのに当たらない」とお叱りの声をいただいているくらいです。ありがたいことです。5年前のはじめてのクルーズ、博多から九州を一周してまた博多に帰ってくるその間、沿線で約10万人の人に手を振っていただいた。お客さんもそれを見て涙する。私も泣きました。感動しました。  

明治維新150年 

 今年は明治維新150年。大河ドラマでは「西郷どん」が放映されてますし、私は九州におりますので、盛り上がっているのを感じます。
 明治維新は奇跡的な革命といわれる。フランス革命ではたいへんな血が流れたが、社会システムは変わっていない。明治維新では今でいう地方分権的な政治から中央集権政治に変わった。身分制も変わった。社会経済システムが変わった革命、しかも無血革命であるところがすごい。世界史上類を見ないものです。

 国鉄がなくなって31年。これは鉄道にとっての明治維新ではなかったかと思う。
 なぜ明治維新は成功したか。なぜあんなことができたか。
 当時、アジア諸国はみな植民地になっていた。それを見て維新のリーダーは危機感を持った。アジアで植民地にならなかったのは日本とタイくらいです。猛烈なスピードで近代化をしなければいけないと考えた。維新からたった5年で鉄道敷設、明治22年には憲法を作った。なぜそんなことができたか。
 それは維新のリーダーたちが猛勉強したから。少し前まで英語も知らなかったのに、猛勉強した。そして、勉強したことを行動に移した。

 幕末の志士で私が好きなのは山岡鉄舟。勝海舟の右腕みたいなものですね。勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の3人を「幕末の三舟」と言う。鉄舟は剣術の達人で書の達人ですが、その言葉に「水の口中に入り冷暖自知するが如し」というのがある。どういう意味かというと、水が口の中に入り、はじめて冷たいか暖かいかがわかる。見るだけではいけない、行動に移して初めてわかるということ。それもスピードを持ってやりなさいと。

大切にしたい力

 大切な力として、三つの力があります。

・夢みる力
・「気」を高める力
・伝える力

 孫正義さんは佐賀県鳥栖市の出身。坂本龍馬を尊敬していた。龍馬のように生きたいと思い、福岡の有名進学校に進学していたが、中退して独学で英語を勉強して学生時代にアメリカでベンチャー企業を立ち上げた。そして日本に戻って福岡で会社を立ち上げた。後のソフトバンクです。1981年、今から37年前。創業初日、社員2人を前にミカン箱の上に立って語った。「諸君、我が社はいまから10年後には100億円・・・30年後には売り上げを1兆、2兆と数えられるような会社にする」と言った。社員はぽかんとして見ていた。3日後に2人とも辞めたそうです(笑)。それから37年、ソフトバンクの営業利益は3兆円です。
 だれでもできることではない。孫さんの能力、強運もあっただろうが、夢にむかって邁進したからできた。まず夢をみなければ、夢は実現しない。まず夢をみること、そしてそれにむかって邁進することなんです。
 自動車メーカーのホンダの本田宗一郎も、初日ではないが社員の前で「ホンダは世界一になる」と語ったそうです。ミカン箱の上に立って。三つの力にもう一つ加えるなら,ミカン箱の上に乗る力もあるかもしれない(笑)。



 「ななつ星in九州」は私の夢でした。30数年前に知人から「九州に豪華寝台列車を走らせたらどうだ」と言われたことがありますが、当時は社長でもない。頭の中に入れておくにとどめた。2009年にJR九州の社長になったとき、このことが浮かんだ。さっそく「豪華列車を走らせるとしたら現実にどんな問題があるか」各部署に調べさせた。2年後に九州新幹線が開通するという、準備で大変なときです。
 1カ月後に各部署からレポートが返ってきた。「大きな課題があります」「大変な問題があります」と。行間には「やりたくない」と(笑)。それを察知してますますやりたくなった(笑)。
 一番猛反対したのは運輸部長だった。社長に対して猛然と、敢然と反対する。JR九州は風通しがいいんで。西日本では考えられないでしょ(笑)。私は彼をリーダーに据えた。これは見事な人事でしたね。元々仕事人間で能力のある人だから猛烈に勉強してどんどん推進してくれた。うれしい反面、そんなにころっと変わる人を信用していいものかと思ったりした(笑)。

「世界一をつくる」にみんな燃えた

  九州ではあちこちに、デザイナーの水戸岡鋭治(みとおかえいじ)さんがデザインした列車が走ってる。「ななつ星」をつくるにあたって、その水戸岡さんも「世界一を」というとさすがにかまえたが、すぐに着手してくれた。世界一とはなんだろう。オリエントエクスプレスに勝つには。水戸岡さんはものすごく勉強してくれた。どんな列車が求められているか。そして・・・完成した。
 ななつ星は、車両の塗装がカメラマン泣かせなんです。何重にも塗装が施され、磨きたてられているから鏡のように映る。ローアングルで撮ると青空との境がわからない。「天空のななつ星」です。
 有田焼の洗面鉢は14代柿右衛門の遺作。水戸岡さんが有田を訪れて熱弁をふるって頼んだ。柿右衛門さんは「わかりました」と。15代と2人で14、予備を含めて15の洗面鉢をつくってくれた。同じものは2つとありません。すべて部屋ごとにデザイン、図柄が違う。当時14代はすでに末期ガンだった。覚悟の上で受けてくださった。8カ月かけて。納品後1週間で亡くなられました。

 職人も、客室乗務員も燃えた。ベタ記事の求人に400人もが手を上げてくれた。ベテランのCA、ホテルマンが世界から応募してきた。プロ中のプロです。そんな人たちが「世界一をつくろう」に惹かれて集まってくれた。その中から13名を選抜して、ゼロから1年間修行してもらった。湯布院の旅館やディズニーランド、北陸の加賀屋にも勉強に行ってもらった。そして、「お客様」と「サービスする側」という対立的な構図ではない、お客様の友人の1人、パートナーの1人としてお客様に寄り添う、そんなかたちをめざした。ななつ星の車両はデジタル機器でいっぱいだけど、接客サービスは徹底してアナログなんです。


 地元も燃えた。九州から世界一を出すということで。「世界一」は夢をもたせるものだから。
 お客様の平均年齢は65歳くらいですが、当選してから禁煙の訓練を始めた人、歩く訓練を始めた人がいる。それくらい、人生の生きがいになっている。1週間前にドタキャンがあってもウエイティングリストの一番から「キャンセルが出ましたがどうなさいますか」と電話すると即「乗る乗る!」。空室ができたことがないんです。お客様もみな燃えていて、「気」がぎっしり詰まってる。
 4日間のクルーズの間には何度も涙する。4日のうちにお客さん同士も仲良くなっていて、最終日のお別れパーティーが終わったときは号泣です。私も何度か同席しましたがもらい泣きします。
 証券会社の皆さんをご案内して、たった5分間ですが、説明したことがあります。たった5分の説明で、みなさん、泣くんです。なんだろう。「気」なんだと思った。ななつ星には気が満ちているんです。

「気」とは何か

 気とは

1 天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの
2 万物が生ずる根源
3 生命の原動力となる勢い、活力の源

  といわれる。
 気は、英語では「spirit」かと思っていたが、そうではなく、くわしい人に聞くと「energy」だそうです。目に見えないエネルギーが人間を動かすんです。「気」というエネルギーは「感動」に変わるんです。
 私は、会社でも「気だ」「気だ」と言っている。気があればお店は繁盛するし、会社は業績が上がる。

 気を高めるには5つの法則がある。

1.夢みる力
2.スピードのあるきびきびした動き
3.明るく元気な声
4.スキを見せない緊張感
5.よくあろう、よくしようという貪欲さ

 うちではこれを実践しています。31年前のJRスタート時。本州三社(JR東日本、東海、西日本)はすぐ上場できるだろうがJR九州は株式上場なんかできないだろうと思われていた。地方ローカル線の赤字のほとんどをJR九州が引き継いだ。赤字300億。そこからはいあがってきた。スケールは違うが明治維新のリーダーたちと同じです。危機感をバネに、本気で改革に取り組み、昨年度は600億の利益となった。社員のがんばりです。鉄道だけでなく新規事業、ホテルから外食、卵、農業、なんでもやりました。D&S(デザイン&ストーリー)列車というのをどんどんつくった。ふつうはリゾート列車というんですけどJR九州ではおしゃれなデザイン、そして一つ一つに物語があるということでそう呼んでいる。「ゆふいんの森」「はやとの風」「あそぼーい!」「指宿のたまて箱」など11種類。そして、プラス「ななつ星」。
 去年、あろうことかJR西日本が豪華寝台列車をおつくりになった。まあ似て非なるものですかね。名前も覚えてませんがね・・・いまだに採用してくれなかった恨みが(笑)。

 JR九州では社内全体で行動訓練に取り組んでます(「右向けー、右!」等の声とともにきびきびと動く社員たちの映像)。
 こんな訓練やってるのは鉄道会社ではうちだけです。これが高じまして、「櫻燕隊(おうえんたい)」というよさこいソーランのチームを作り、札幌のよさこいソーランの大会に殴り込みをかけました。3年前に出て優勝、翌年にも出てくれといわれて連続優勝。去年はもう来なくていいと言われ、名古屋のまつりに出て初出場で優勝しました。(拍手)
このように、三国丘OBはがんばっております。


■唐池 恒二(からいけ こうじ)
 1977年京大法学部卒業、日本国有鉄道に入社。87年国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)に。「ゆふいんの森」や「あそBOY」(後継列車が「あそぼーい!」)等のD&S(デザイン&ストーリー)列車の運行をはじめ、博多~韓国・釜山間の高速船「ビートル」の就航に尽力。その後、赤字続きだった外食事業を黒字化しJR九州フードサービスの社長に就任。02年には、炭焼創菜(そうさい)料理店「赤坂うまや」の東京進出を果たす。
 09年JR九州の社長に就任、11年に九州新幹線全線開業、商業駅ビル「JR博多シティ」開業も成し遂げた。13年10月に運行を開始したクルーズトレイン「ななつ星in九州」は、その企画から運行まで陣頭指揮を執った。14年からJR九州会長。



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