三丘同窓会

高4回(高四会)(1952年卒業)

第59回「高四会」は中止

2020年10月25日に予定していた第59回「高四会」はコロナ禍のため中止といたします。  
〔記=坂口泰弘〕

第58回同窓会を開催


 昨年10月25日(金)スイスホテル南海大阪にて第58回同窓会を行った。
昭和、平成、令和と3代の天皇を戴き、特に畏くも上皇陛下とは同年同学年で平成は終わりましたが、我々はまだまだこの会を続けるつもりです。
 昭和38年から始まり一度も途切れず58回目を無事開催出来ました。
 初めて平日に実施しましたが47名の仲間が集い、昨年どおり集合写真撮影、そして物故者の黙祷から始まり、2時間半余りの楽しい時間を持つことが出来ました。
 最後に校歌の合唱、終わったと思えば誰かが万歳を三唱、で、また全員唱和。
 散会したはずが階下では又何組かがお茶を飲みながら談笑していたようです。
 今年も例年どおり物故者が5人判明、それも1人を除く4人は同窓会の案内でご家族からの返信ハガキで判明しました。同級生が次々と亡くなるのは寂しく悲しいものです。年を取ると仕方がないと判っているが残念です。
 又当然我々の恩師は誰お一人としてご連絡をとることができず、これも又大変寂しい次第です。
〔2020年・記=坂口泰弘〕

  

第57回同窓会を開催


 昨年10月28日、スイスホテル南海大阪にて第57回同窓会を行った。
 案内状を230通発送し返信は140通。返信で初めて4名の物故者が判った。他に住所不明が17名。参加者は56名。北は北海道、南は鹿児島から。前年より10人増は上出来であった。
 欠席の理由で一番多かったのは身体の不自由、認知症等で施設に入っているため。今後の案内も無用との返信もあり、加齢で今後も欠席者が増えることは覚悟せねばと痛感。
 宴を始める前に新物故者の冥福を祈り黙祷を捧げた。存命の恩師も居なくなり我々だけの宴会となった。
 仲間同士だけの宴会、盛り上がらないはずがありません。時間の経つのも忘れ、予定の3時間も過ぎ、惜しみながら全員で校歌を合唱、万歳を唱え閉会となった。
 特に今回の同窓会には野村憲司君、森田眞司君、中西伸君、竹内弘君等の協力もあり成功することができたと感謝しています。
 高4回は在学中も団結心が強く、それは6年間仲間として青春を謳歌し友情を育み自然と気心の知れた仲間と理解しあったのだと思われます。
 さて、この同窓会も東京オリンピックが決まった時にその時まで続けようと決めていたが、まだまだ元気、もっと先の60回まで続けよう、丁度我々が米寿を迎えることになると提案すると大拍手、全員の賛同を得た。その時まで頑張るぞと誓い元気に校歌を歌い万歳を三唱してお開きとなった。
 最後に我々の同窓会以外にも親睦会があり、例えば「丘楽会」「三土会」「三水会」それに元「卓球部」「サッカー部」の交わりも盛んである。
 詳細は幹事にお聞きください。           
〔2019年・記=坂口泰弘〕

第56回同窓会を開催


 昨年10月2日にスイスホテル南海で56回目の同窓会を開催いたしました。 
 28歳の年から56年間、毎年同窓会を開催してきました。最初の頃は恩師の出席もありましたが、私たちが80歳を超えた頃からなくなりました。
 今回は男子20名・女子26名、計46名が集まり、よもやま話に花が咲き楽しい時を過ごしました。次年度もスイスホテル南海で開催することに満場一致で決まりました。2020年オリンピックまでこの会を継続するため、それぞれ健康で頑張るつもりです。            
〔2018年・記=野村憲司〕

55年連続の同窓会

 平成28年10月9日(日)ホテル・アゴーラリージェンシー堺において、第55回同窓会を開催いたしました。当日は男子25名女子28名の53名が集まり、会食と歓談に楽しい時間を過ごしました。
 我々も80の坂をこえ年々出席者は少なくなりましたが、元気な者だけでも、1年に1度は会いたいと思います。今年も多数の出席をお願い致します。
〔2017年・記=野村憲司〕

平成27年同期会報告

 平成27年11月9日、恩師「祝卒寿」と銘打って、54回目の同窓会を大阪新阪急ホテルで開催。出席者59名、体調不良のため、桜井郁子先生にお越しいただけなかったのは誠に残念でした。会よりささやかな卒寿のお祝いをお送りしました。
 高4回生は戦後の学制改革の影響を受けた世代です。入試を受けて入学した府立堺中と府立堺女、市立堺女が合流して三国丘高校、泉陽高校に分かれ男女共学が始まったのは、併設中学3年の2学期のことでした(併設中学で卒業した女生徒もかなりおられた由)。
 このような経緯で、男女それぞれ中学校、女学校から高校卒業まで6年間勉学を共にした仲間です。特に男生徒は中学・高校を同じ校舎で過ごし、同期の絆の強さは比類なきものとなっています。
 親睦を深めお互いの消息を知る集いの同窓会を、1961年から毎年開いて今年で55回目になります。
もしも同窓会のギネスがあれば、私たち高4回は今年で開催回数55回、年齢83歳、共にギネス入りだと考えています。
 今後も東京オリンピックまで、毎年同窓会を続けると宣言しています。代表幹事(男1女1)も最終の88歳までほぼ決まっているようです。私自身も健康寿命を延ばし最終まで参加したいと思っています。これまた全国高校の同窓会のギネス記録になるかもしれません。
〔記=角野朝子〕

平成25年同期会報告/傘寿の会

 昨年(平成25年)10月28日、スイスホテル南海大阪にて、桜井郁子先生をお招きして傘寿の会を開催しました。男性36名、女性50名、先生を含めて87名も集いました。会場の便がいいこともあり、女性の参加者が例年より増えました。ホテルの会員割引を使い、料理もよいものを頼んだのでおいしいと好評でした。
 歩行困難で欠席という方が複数名いるなど、なにかと故障のある年代ですが、間もなく卒寿の桜井先生は、今年もロシアを訪問されるとのお話を伺い、私たちもせめてあと7年、東京オリンピックまで同期会を続けようと意見が一致しました。
 同期会を毎年開催するほか、2カ月に一度20数名が集まる「三土会」や、ゴルフの会も開催しています。同期生の集まりでは何歳になっても仲間を「あの子」と呼ぶなど、若い頃の気持ちに戻り元気が出ます。
 今年の同期会は新阪急ホテルで開催予定です。高齢の私たちが毎年同期会を開催できるのは、案内状作成・発送など同窓会事務局のご支援があってのことと感謝しています。 
  
〔記=森田眞司〕

平成24年同期会報告/卒業60周年記念同窓会

 平成24年10月28日(日)アゴーラリージェンシー堺において、卒業60周年記念の同窓会を開催しました。
 同窓会に先立って、午前は同期の小野寺啓祐君率いるハワイアンバンドによる記念コンサートを行い、我々が若い頃に流行した懐かしい曲を楽しみました。 
 午後から桜井先生をお迎えして51回目の同窓会を開催しました。出席者は例年80名を超え、特に母校の三丘会館で開催した前回は123名の出席を得ましたが、今回の出席者は73名でした。
 この一年に6名が亡くなられ、今後も他界される方が増加すると思われますが、後期高齢者である我々は健康に注意し、年一度の同窓会で気のおけない仲間達と今後も青春を語りたいと思います。
 なお、我々4回生は「三土会」と称して偶数月の第三土曜日に夕食会を開催しており、毎回20数名が集まります。東京でも一泊旅行などを行っていますが、卒業して60年変わらぬ友情で結ばれた仲間がいることは心強く喜ばしいことです。
〔記=森田眞司〕

平成23年同期会報告/第50回記念同窓会

 平成23年10月23日(日)三丘会館に於いて第50回記念の高四同窓会を開催した。恩師は桜井先生お一人となったが、我ら同期生はすこぶる元気で、参加者は当初80人位と見込んでいたが何と125人となり、幹事一同大慌てしたが、今さら会場変更も出来ず、他に方法もないので止むを得ず当初計画通り強行した。
 その結果、受付が混乱し、集合記念写真も一回では入りきらず、また全員高齢のため安全を期して雛壇を低くするなどして3班に分かれての撮影となった。
 参加者は国内各地からはもちろん、アメリカからも参加下さり、会場はギュウギュウ詰めの状態でご出席の皆さんに窮屈な思いをさせ、本当に申し訳なく思っております。それでも、懐かしい母校の雰囲気を味わい、また久しぶりに大勢の同期生に会えたと喜んでもらえた。
 今回も残念ながら福島先生をはじめ7名の物故者が判明、その方々のご冥福を祈り全員で黙祷を捧げました。
 また、昨年の喜寿を祝う同期会のスナップ写真180枚を会場壁面に貼って希望者に無償で送ったほか、第50回を記念して母校の校章と校名及び各人の氏名を彫った鼈甲のストラップを長寿のお守りとして全員に配り、好評を博した。
 久々に母校を訪れて愛校心が湧いたのか、三丘同窓会の年会費を我も我もと支払う人が続出し、また、出席者のご賛同を得て第50回を記念し10万円を三丘同窓会に当日寄付させていただいた。
 高四同窓会が今後も60回、70回と続くことを祈る。
〔記=坂口泰弘〕

平成22年同期会報告/喜寿を祝う

 2010年10月28日(木)リーガロイヤルホテル堺において、首都圏や信州・東海・九州など各地から総勢83名の仲間が集まり、桜井先生にご出席いただいて第49回同窓会を開催しました。初の平日開催でしたが、出席者は前年より12名も多く、まず冒頭に物故者のご冥福を祈って黙祷を捧げました。
 私たちの「喜寿」の年にあたるお祝いに、「長寿の心得」を記した母校のロゴ入り大型タオルを出席者全員と高四同窓会に協力いただいた方々に贈呈し、皆さんから好評を得ました。また、宴半ばに「看板を偶然見かけた」として後輩の竹山堺市長が突然闖入し、「大先輩にご挨拶を…」とのサプライズもあって盛り上がりました。
 最後に「喜寿」の次は「米寿」を目指して頑張ろうと全員で健在を誓い合い、来年の再会を約して散会しました。
 なお、二人のカメラマンに数多く撮ってもらった当日の写真は、次回の同窓会で展示し、希望者に進呈する予定です。
 次回は記念すべき50回目で、「告知板」掲載の通り三丘会館で10月に開催します。後期高齢者にとって堺東からの坂道はつらいですが、健康のため、はたまた今生の見納め(?)と、青春の思い出が詰まった母校に、頑張って是非ご参加下さい。
〔記=坂口泰弘〕

平成21年同期会報告

 昨年10月25日(日)新阪急ホテルにおいて、福島・櫻井両先生をお迎えして78名が一堂に会し、48回目の同窓会を開催しました。一昨年まで毎回出席者は80名を超えましたが、昨年は初めて80名を切りました。
 残念ながら直前一年間に7名の方が他界され、開会冒頭に黙祷を捧げ、物故者のご冥福をお祈りしました。後期高齢者の我々ですが、もっと健康に注意して「あと20年、30年は続けたいな」と思います。その為には、規則正しい生活と適度の運動、そして気のおけない仲間と青春を語り合うことです。
 年一度の同窓会以外に、偶数月の第三土曜日に堺の中心街に集まって夕食を共にする「三土会」、年に一度の昼食会と一泊旅行を続けている「丘楽会」、また在学中の野球部、サッカー部、卓球部の集まり、特に卓球部はたいへん元気で、常に集まっては色々の行事をしています。
 東京でも一泊旅行などを行っていますが、卒業して60年近く、変わらぬ友情で結ばれた仲間がいることは本当に心強く、喜ばしい限りです。
 本年も10月に49回目となる同窓会を下記の通り開催します。皆さまのご出席を幹事一同心からお待ちしています。

■日時:22年10月28日(木)12:00
■会場:リーガロイヤルホテル堺
■会費:1万円
〔記=坂口泰弘〕

平成20年同期会報告


 昨年(平成20年)11月9日(日)、リーガロイヤルホテル堺において、福島、村田、桜井の各先生にご臨席賜り、47回目となる同期会を開催しました。約80名が参加し、最初に記念写真を撮影しました。
 福島先生は昨年米寿をお迎えになりましたが、今も大阪歴史学会に深くかかわり、地域史の調査、研究に力を注いでおられます。お元気な先生にお祝いを申し上げると共に、そのご活躍に同期生一同、心から盛大な拍手を送りました。
 東京高四同窓会の近況発表や、大西、小泉両氏の著書出版の発表等があり、各氏の活動にも拍手が送られました。最後は恒例の応援歌と校歌を全員で斉唱し、一年後の再会を約して散会しました。
 本年の同期会は10月25日(日)、大阪新阪急ホテルで開催します。
〔記=鈴木祥三郎〕

平成19年同期会報告

 昨年(平成19年)11月18日(日)、リーガロイヤルホテル堺において、福島・村田両先生にご出席いただき、約80名が一堂に会し、46回目となる高四同窓会を開催しました。
 冒頭に立川俊一、山岨英子両氏の叙勲受章の表彰を行い、引き続き津田和明氏が母校で行った文化庁芸術家派遣事業による講演、大西宏氏による著書2冊の発刊、糸山松美氏が自作日本画「蘭香る」(20号)を母校に寄贈したこと等の発表・紹介があり、同期各氏の活動に盛大な拍手が送られました。
 昔日の懐かしい話やお互いの近況などに話が弾み、最後は校歌を全員で斉唱し、一年後の再会を約して散会しました。  なお、本年の同期会は11月9日(日)、リーガロイヤルホテル堺にて開催の予定です。皆様のご参加をお待ちしています。
(記=鈴木祥三郎)

平成18年同期会報告


 平成18年11月4日(土)、リーガロイヤルホテル堺において、福島・村田・櫻井各先生はじめ87名が一堂に会し、第45回高四同窓会を開催しました。
 記念写真を撮影し、3名の叙勲受章者を表彰した後、楽しい昔話などに時の過ぎるのを忘れ、全員元気をもらって、1年後の同窓会での再会を誓って散会しました。
 なお、今年の同窓会は平成19年11月18日(日)、リーガロイヤルホテル堺にて開催の予定です。元気を分け合える同窓会にしたいと思っていますので、今まで出席できなかった方々も合わせて多数の出席を心からお待ちしています。
(記=川上 徹・糸山松美)

平成14年同期会報告

とにかく律儀な同窓会である。毎年秋に開催するが今年は実に42回目に当たる。41回の同窓会は142名出席の盛会であった。
 ご招待の先生にも熱心さをあきれられながら、お褒めをいただいている。
 もっとも、この会がいっそう活気を帯びてきたのは、いまだ現役のぱりぱりもいるけれど、大方が社会や家庭の一線を引退し幾分精神的ゆとりが出来てからのためもある。
「同窓会壊れた仮面下げてくる」
 初めのうち、こんな感じもあったが、今年半数は古希に達するとあれば、お互い健康を喜び合い、和気藹々の昔が蘇ってくる。
 私どもの入学した頃を考えると今の三丘生の学力レベルからすれば、私も含めて半分くらいは「?」の連中が含まれている。
 しかしながら、それだから人間の幅は広いのである。むしろ一線を引いてから文芸や芸能の活躍の目立つものも多い。  ところで、古希といえば一抹の寂しさは確かにある。
「音もなく白髪のはうり落ちて 古希」
 今の時代、人生はむしろこれからである。残念ながら毎年ちらほら訃報もあるけれど、同窓会という思い出を共有する場で、楽しみと懐かしさしかない会において毎年一堂に出会い、心を癒したいものである。
 「長生きのスタート古希の住所録」一同また元気で、母校の発展をいっそう願いつつ、長く長くこの会の続くことを念願して止まない。
                   
(記 中野 健吾)


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