三丘同窓会

中50期・高2回(1949〜50年卒業)

91歳、思い出話に花が咲く


 旧堺中50期と高校2回生の同窓会を去る11月11日に堺のホテルアゴーラリージェンシーで開催、15名の仲間が参集しました。
 この期の卒業生は91歳を迎えましたが出席者は元気で健康の話に、また思い出話では在学中は戦争の最中で殊に堺の空襲時には命がけで校舎を守ったなどと話に花が咲きました。
 これからもお互いに健康に留意して、毎年11月に同窓会を続けていくことを申し合わせました。
〔2022年・記=縄田允〕

「米寿を祝う同窓会」を開催しました/2019年


 三国丘高校2回・堺中50期生は今年88歳の米寿を迎えました。これを記念した同窓会が桜花咲く本年4月14日(日)、三丘会館2階で開催され、45名が出席しました。昭和6〜7年生まれです。
 戦後6・3・3制が導入され、旧制堺中学、府立・市立堺高等女学校の3校が合併、三国丘、泉陽の2高校に分けられ、中50期は昭和24年に、新制高校に進んだものは昭和25年に卒業しました。
 昭和19年、太平洋戦争の真只中に入学して、堺の大空襲の折にも在校生で旧校舎を守り、同級生一人は焼夷弾により校舎内で死亡しました。また市民病院が空襲で焼失したため、学校が病院に変わり、我々2年生は24時間態勢で校舎を守ったのも思い出の一つになっています。
 敗戦を境に旧制から新制に変わり、高2回の男子生徒はこの三国丘で多感な学生生活を6年間、食糧難ほか幾多の困難と闘いながら過ごしましたが、戦後男女共学となり、自由を謳歌できたのは楽しい思い出です。
 卒業時、食糧難のこともあり、かくも多数の級友が米寿を迎えられるとは思いもよりませんでした。卒業生約400人の内200人の所在も判明できました。今回は今西邦夫同窓会長様からもお祝辞を頂き、事務局の皆様からもひとかたならぬ御協力をいただいたことを感謝いたします。   
〔2019年・記=縄田 允、今川康夫〕

最後の同期会を開催/2011年


 昨年10月22日(日)三丘会館に同期生79名と井上和子先生の計80名が集い、我々堺中50期生及び三国丘高校2回生の、最後となる第23回同期会を開催しました。当日は初めに全員で記念撮影をしてから懇親会に入りましたが、予定の2時間余はアッという間に過ぎ、名残を惜しみつつ散会しました。
 我々の期は少々複雑で、昭和19年4月旧制堺中に入学した男子と、学制改革による共学の実施で昭和23年9月に旧制の府立堺高女(現・泉陽高校)及び市立堺高女から転入した女子で構成され、旧制5年の課程を終えて昭和24年に卒業した堺中50期生、新制中学・高校各3年の計6年在学して昭和25年に卒業した高2回生で構成しています。卒業生は男子284名、女子166名の計450名、そのうち物故者126名、消息不明者40名、現在住所判明者は284名です。
 これまでの同期会をふりかえると、色々な出来事がありました。なかんずく昭和55年4月20日三国丘駅前の「はや本店」で開催した第4回同期会は、同期生204名と恩師8名の総勢212名の大盛会で会場に入りきれず、別室に幹事席を用意しました。
 また、第16回同期会は平成16年10月4日難波の道頓堀ホテルで開催予定のところ、当日昼に大阪市内を台風が直撃することが前日に報じられ、急遽中止することにして幹事全員で中止の連絡をする一方、ホテルと折衝し、日を改めて同ホテルで開催することを約してキャンセル料を無料にしてもらい、翌年1月15日に開催しましたが、同年10月22日に第17回同期会を開催したので、この年は2回開催したことになります。
 卒業後60年余、全員が傘寿を迎え、当初の幹事25名も14名となり、この辺が潮時と判断して会を閉じることにしました。
〔2012年・記=菊川康男〕

卒業50周年に集う/2000年

 平成12年9月3日、井上・沢田ご夫妻、村井・村上・山口・山岨の7人の先生にご出席を賜り、同窓生82名が大阪梅田の新阪急ホテルに集い、同ホテルのレストランでシェフ自慢のフランス料理に舌鼓を打ち、懐古談に花が咲く大変楽しい一日を過ごしました。
 今回は、特に高2回生の卒業50周年ということもあり、非常に有意義な会であったと思います。
 五弁の花を夢見て入学したものの花弁が2枚で終わり、学制改革のため、堺中50期・高校2回生として2年にわたって卒業することになりました。
 激動の戦後社会を経験した同期生として相集い、旧交を温め合い語り合いました。
〔2001年・記=菊川・北尾〕

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